2013年2月1日金曜日

独善

――1.公共の場に対する認識を私達はどの程度共有している――



ほとんどの場合、乗務員に管理されずとも乗客各々は能動的に、 

――互いに不快感を与えないことを意識して行動する、お互いの摩擦を回避し、やむを得ない場合には堪えることも受け入れる――

といった程度には公共の場に対する認識は共有されていると私自身は推察しています。

ただ、運航中における快適な環境の維持、確保を含めた、円滑な運航を目的とするのみならば、公共の場に対する認識がどの程度共有されているかは、実はそれほど大きな問題ではないかもしれません。

公共心の劣化は残念なことですが、その時々の社会の要請に応じて乗務員による乗客の管理、規制が強化されれば上記目的は達成されます。

先のエントリで示した機内アナウンスを職務として規定することもその類似例でしょう。

公共の場に対する認識を私達が共有できていないとしても、極端には法的に乗客が管理されてしまえば実際上問題はないはずです。

勿論、好ましくはありません。管理されなければ、運航中の良好な環境がが確保されない、即ち、自ら摩擦を回避できない、堪えることができないといった状態は情けないことですが...

乗客の公共心に過度に期待することなく、適切に規制の枠組が構築されれば、その枠内で低下したモラルに基づく新たな認識の共有が徐々に醸成されていくのでしょう。

公共の場に対する私達の認識が変化(劣化?)したとしても、相応した乗客管理の枠組を遅滞なく追従させれば残念な騒動には発展しない、と考えます。



――2.共有の程度は時代や社会と共に変化してきたのか
或は、
3.実は従来からの大きな変化はなかったのか――


話は逸れていきますが公共の場に対し私達が共有する認識はこれまでどう変化してきたのか、又、今後どう移り変わっていくのでしょうか。

関心を持っていますが実の所どうなのかわかりません。そもそも変化してきたのか否かでさえ私には定かではありません。

昨今、私達は寛容性に欠け身勝手とも受け取れる考えが氾濫している事例をいとも容易く見つけることができます。

全てが事実とは断定できませんが、常にどこかで誰かのと言っていいほどブログやツイッターでは頻繁に炎上が起こっています。最初の発言に配慮が欠けていたり、その匿名コメントが輪をかけて独善的だったりしています。

電車内へのベビーカー持ち込み論争、新幹線車内での子供が座る座席についての議論、食べログでの匿名レビュー等、具体例には事欠きません。食べログではヤラセ、誹謗中傷と共にさかもと氏の騒動と比較にならない利己的な主張をいくらでも目にします。

(余談ですが、記憶が曖昧だった、”どう考えたら 新幹線の三景(朝日新聞 投書)”を新幹線、子供、自由席、指定席といった語で改めて検索した所、当該記事も含め余りに低劣な複数の事例が見出され、唖然となり気分が悪くなりました)

 漠然とですが、TPP交渉参加の是非についての工業団体、農水団体、各々の主張にも配慮の欠如を感じます。更にはいわゆるアベノミクスにも実は根幹で通じる部分を感じています。

例えば、食べログの匿名レビューでは、その飲食店の位置づけも踏まえず、店内で泣く、叫ぶ、走り廻る乳幼児とその保護者への非難、乳幼児同伴での入店を拒絶した店への攻撃、喫煙可の店での喫煙者への批判、酔客や女性グループ客の騒動への糾弾等、身勝手で配慮のない投稿が蔓延しています。これらは飲食店とその場に居合わせた訪問客相互の認識のズレに起因しています。

又、TPP交渉参加についても、工業団体、農水団体が自己利益の優先を繰り返すのみで、工業団体/農水団体各々の相手の立場に立った意見は認められません。狭量な主張に終始し、日本における工業、農業の意義、あるべき将来像、採るべき方策といった国全体を見据えた大局的な視点が窺えません。

自分の立場を押し付けたら勝ち、相手の立場を理解し慮ったら敗け、とまで思しき風潮が社会全体に漂っているように感じています。勘ぐり過ぎでしょうか。

ネットワーク技術の進歩に伴い、今日、私達各々の感想、思想、考察は社会全体に容易に拡散できる一方、拡散してしまいます。

この風潮は本質的には新しいものではなく、旧来から社会全体に普遍的に内包されており、その程度もほぼ不変であり、単にネットワークの作用で露呈し強調されただけなのでしょうか。

或いは、時折目にする、こういう人たちが増えてるんだろうな。”、”かつての日本だと・・・にならなかった”といったコメントに示されるように、社会の変化に伴い上記風潮が強まってしまったのでしょうか。

単純に切り分けるには無理がありますが、その由来、経緯は興味のあるところです。

(続)

0 件のコメント:

コメントを投稿