2017年11月28日火曜日

兼務

パワハラ騒動に続いて熊本市議会でまた一騒動あったようです。
緒方市議の赤ちゃん同伴騒動、未だ収まらず 熊本市議会事務局「要望書の提出など、他にやりようあった」
市議会議員の議場における職務は、乳幼児を同伴しても問題なく遂行できる程度のものと理解して差し支えない、ということですか。

まぁ、熊本城を再建する予算があるならば、それを託児施設充実に振り向けるべきとは思いますが。どこまで困窮していたかについての精査は必要です。或いは、熊本市民が利用する施設に比し、国会議員や議員秘書向けのこんな施設を期待してのことだったのでしょうか。

いずれにせよ、パフォーマンスという印象が拭えません。

以前も記しましたが、議員活動の生産性など適正に評価できない現状にあります。

どんなスキャンダルがあっても、政治家としてきちんと成果を出していればそれで良いちゃんと仕事をしてくれれば、たとえ下半身がだらしなくても構わない
と同じ論法で、議場に乳幼児を帯同させてもちゃんと議員の職責を果たせるならば構わない、という見方があったとしても全く同意できません。

議場で〇〇しながら”ちゃんと”議員の職責を果たせるならば、孫は?、要介護の家族は?、愛犬は?、といった話になりかねません。あまつさえ、スマホを弄りながらの議会出席も差し障りないことになります。

酒席ででさえスマホを弄っていてカラオケのリモコンで重症を負わされる角界とは大違いだなぁと。”〇〇しながら”でも”☓☓しても”でも、”ちゃんと”の部分が不明瞭なままでは、所詮言い逃れにしか聞こえない、というのが率直な受け止めです。

2017年11月27日月曜日

投影

選挙が民主主義を具現化するツールであることに異論の余地はありません。選挙の結果は有権者の意志が正確に反映されたものでなければならないのも当然のことですし、それを最優先に実現すべく選挙制度は設計されるべきと考えます。

選挙制度によって有権者の意志が歪曲されてはならない、ということです。選挙は民意の写し鏡であって、決して魔鏡や凹面鏡であってはなりません。

以前のエントリで、選挙への不信任、不支持投票の導入について触れたことがあります。先日の衆院選において愛知七区で実施された選挙は、従前より複雑さが低く、不信任、不支持投票の効果を考える恰好な実例でした。

信任、白票、棄権といった、選挙におけるこれまでの選択肢に不信任という選択が加わった時、それが反映された選挙結果はどう変化するであろうかを推察してみます。

件の選挙区では、候補者は不倫疑惑で民進党を離党した前職山尾志桜里氏と自民前職鈴木淳司氏のみでした。山尾氏の離党は民進を含めた野党候補の出馬を押し留め、かつオール野党からの支援を受けた形になりました。瓢箪から駒とでも言うべきでしょうか。

で、前のエントリでも記したのですが、有権者はどうしろと...そんな状況でした。結果は僅差で山尾氏が当選、鈴木氏は比例で復活当選というものでした。これが愛知七区の選択、というか民度だったわけです。

ところが、その後該選挙区の11,000票という無効票の多さが報道されました。
1.1万票が無効に! 愛知7区無効票問題
いかに選択肢がなかったか、票を投じるべき候補がいなかったかを示す証左であるのは明白です。

では、この選挙で信任票と共に不信任票を投じる制度が導入されていたならば結果に何が現れてきただろうか、少し詳細に考えてみます。

まず、前の衆院選愛知七区についての数字情報を示します。
当日有権者数:448,044人 最終投票率:59.55%
                              得票数            得票率
山尾志桜里(当選) 128,163票        50.2%
鈴木淳司                127,329票        49.8%
白票          11,291票
ここで山尾、鈴木各氏と白票の、当日有権者数、及び、全投票数に占める割合を求めると、各々、28.6、28.4、2.5%であり、48.0、47.7、4.2%となります。

今更の話ですが、当日有権者数の30%以下の得票で当選となっています。10人中支持者は3人未満...それで選挙区の民意が正確に反映されているとみなせるのだろうか、甚だ疑問です。全投票数に占める割合でも半分以下の得票です。ある集団において、指示が半分にも満たないにも拘わらず代表が選出され、該代表が集団全体の意志を決定するというのも腑に落ちないものがあります。

尤もこれは件の選挙のみならず、ほぼ全ての選挙、与野党の決定、首班指名にも関わる話です。やはり集団の意志を忠実に選挙結果に反映させるには、選挙制度はどうあらねばならないか、真摯な議論があって然るべきと考えます。

この選挙に、不信任票を有効とする制度が導入されたとします。単純には山尾信任は鈴木不信任、鈴木信任は山尾信任、白票は両氏を不信任となるでしょうか。計算してみると(1)、

                   信任数           不信任数
山尾志桜里    128,163票    138,620票
鈴木淳司     127,329票    139,454票
共に信任数<不信任数で差分をとれば両者共に不信任です。信任率を、
信任率=信任数/(信任数+不信任数)
としてみると、山尾、鈴木両氏各々、0.48、0.479で両氏共に同程度に信任されていないという見方ができます。但し、上記は棄権票を信任率の算出から全く除外しています。棄権票(181,361票)を山尾、鈴木両氏支持とするならば、
                   信任数           不信任数
山尾志桜里    309,529票    138,620票
鈴木淳司     308,690票    139,454票
となります(2)。信任率は0.691、0.689であり、棄権票を全て信任票とみなせば、まぁ、70%弱の信任率になります。集団の70%が信任ということであれば、集団の意志が反映されているとするのも妥当な処でしょうか。感覚的にですが。しかしながら、相当数の棄権票を信任票としているわけですから、思い切り下駄を履いた、胡散臭いというか疑わしい数字です。喧伝には効果的かもしれません。こんな数字を使えば選良としての矜持が問われる気もします。

当選者は恰も(2)の信任率(信任数>不信任数)を獲得したかの如く扱われているように見受けられますが、(1)の信任率(信任数<不信任数)というのが実の処というか肌感覚ではないでしょうか。

棄権=白紙委任ですから、当選者は棄権票も自らの信任票として算入することができてしまいます。現行の選挙制度に基づけば、当選者は本来の信任投票数以上の過大な信任を獲得できることになっています。

有権者側から見て、”全てがハズレのくじ引きからより損失の小さいくじを選んだ”選挙結果が、いつの間にか”有権者にとって最も有益なくじを選んだ”結果に誤変換されてしまうわけです。棄権票=白紙委任という扱いがこの感覚の乖離をもたらしています。この扱いを除外して(1)の見方をすれば”、より損失の小さいくじ”を実感できます。

さて、今回の選挙で不信任票を投じることができたとすれば投票動向はどう変化したでしょうか。推測の域を出ませんが、意思表示の選択肢が増えるという点で投票率は上昇するはずです。これまで白票は両者不信任票として更に増加します。棄権票→両者不信任票と共に、やむを得ず”より損失の小さいくじを選んだ層→両者不信任票への転向も加わります。つまり、選挙区の意志がコアな山尾支持、コアな鈴木支持、両者不支持に明確に分断されるであろうことは予測に難くありません。焦点は、両者不支持の層がその意志を無視し得ない程大きくなるかです。

現行の選挙制度では、両者不信任の割合が相当程度増加したとしても選挙結果を覆し、再選挙等に至ることはないと思料しています。多分。組織、信者、盲目的支持者からの固定票もありますし。

しかしながら、棄権でも無効でもなく不信任が明示されることは、極めて意義あるという民意の表明であると考えます。この不信任の意志が強いほど、その選挙が”より損失の少ないハズレ引くくじ”を具現化したものであることを意味しますから。

このような多様な民意の明確化を原動力として、直ちには無理であったとしても、民意が正確、忠実に反映される民主主義社会へと向うことを願ってやみません。

(追記)
偶々、11月27日に実施された市川市長選で、”当選者なし”、50日以内に再選挙という結果が出たようです。
当選者なしでまさかの「再選挙」となった市川市長選挙
1位の得票者でも有効投票数の25%である法定得票数約30000票を獲得できなかったとのこと。有権者が明確に不信任の意思表示をできれば、”選ぼうとしているのは有用な当りなのか、或いは、損失の少ないハズレなのか”といった該選挙に対する有権者の姿勢を露わにすることができます。この有権者の姿勢は換言すれば選挙に対する期待感であり、これを明示することが蔓延する政治不信の解消へと繋がっていくのではないでしょうか。

該選挙の投票率は30.76%とのこと。全ての投票が有効票として、有効投票数の割合は全有権者の7.69%...集団の約8%の支持で集団全体の意志を左右する権限を持つ代表が決定されるという状況も、果たして健全な民主主義社会なのか疑問が拭えません。

2017年11月24日金曜日

行止

正に新しい酒を古い革袋に入れようとしているわけです。破れます。
名古屋城、「木造天守もエレベーターを」 障害者団体
かつて権威の象徴であった城を、為政者が自らの権勢誇示の手段、名を残す目的で復元するということに抵抗を感じます。旧いモニュメントを元に戻すより、新たな生産的創造を志向すべきです。

2017年11月22日水曜日

狡猾

勿論、更なる精査が必要ですが...

10月5日付、毎日の記事です。
愛知7区 山尾氏、1人で「討論会」 別の予定者は欠席 至学館大主催
至学館大学が衆院選を前に愛知7区の立候補予定者である民進党を離党した山尾志桜里氏と自民党鈴木淳司氏の討論会を開いたようです。

で、
鈴木氏はスケジュールを理由に欠席し、山尾氏単独で行われた。
とのこと。事実を記事にすれば、まぁ、そういうことなでしょう。なんとなく、鈴木氏が討論を避けたかの印象を抱かせる文です。”スケジュールを理由”という表現が、”スケジュールを理由として”、”スケジュールを盾に”を連想させるためでしょうか

同じ意味でも、”スケジュールが合わず鈴木氏は欠席となっため、山尾氏単独で行われた”とは与える印象が微妙に異なるような気がします。この文ならば討論を意図的に避けたような憶測は生じません。

事実はよく判りませんが、”スケジュールを理由に”という表現には意図を感じます

更に、至学館大学という場が果たして両氏が討論する場として公正な場か否かを鑑みた時、疑念が脳裏を掠めるわけです。該大学の学長は谷岡郁子氏で元民主党所属の参議院議員です。小沢一郎氏がかつて旧民主党に所属していた時、小沢氏の引きで民主党から出馬、当選した覚えがあります。

一方の、山尾志桜里氏も、”2009年、当時民主党代表だった小沢一郎にスカウトされ”民主党から出馬、衆議院議員に当選とあります。

現在、三人全てが旧民主、民進から離れていますが、谷岡、山尾両氏はいわゆる小沢チルドレンとして、旧民主党の政権奪取時、同じ政党に属する国会議員だったという認識です。単に席を並べただけなのか、同じ釜の飯を喰っていたのかは存じませんが。

やはり、山尾氏の対立候補である鈴木氏にとっては、討論の舞台となる至学館大学はアウェイである、とみるのは妥当な処かと。”虎穴に入らずんば虎児を得ず”との言葉もある一方、”飛んで火に入る...”も十分想定されます。

大学という政治不介入の場を装いながらも、真に中立か否かの疑義が完全に払拭できない舞台に催された討論会です。のこのこ赴いて山尾氏のイメージ戦略に利用されることもあり得ない話ではありません。

選挙戦略的に欠席は妥当な判断であり、”スケジュールを理由に”が口実であったとしても驚きませんし批判される話でもないと考えます。鈴木氏を支持、不支持はともかく、”まぁ、そういうことなんだろう”という受け止めです。

一方、山尾氏側にとって鈴木氏の欠席は何ら不利益はありません。むしろこの欠席を、山尾氏との討論から逃げた、と印象づける恰好の材料として利用できます。つまり、かつての同僚議員が学長を務める大学での討論会という企画自体が山尾支援に繋がっているということです。

穿った見方をして、むしろ鈴木氏の欠席を織り込んだ討論会だった、との勘ぐりも捨てきれないでいます。日程的に開催日ぎりぎりに参加を要請すれば山尾氏の一人舞台が作り出せます。憶測に過ぎませんが事実であれば卑劣この上ない印象操作です。

付け加えれば記事中の、
大学側によると、鈴木氏にも学生からの質問状を送ったが、4日午前までに回答がなかったという。
参加した4年生の竹内嘉奈子さん(22)は「国会で議論されていることを若者目線で分かりやすく話してくれてよかった。自民党の人がいなかったのは残念。いろんな意見を聞きたかった」と話した。
も唐突というか取ってつけた感を否めません。前者はどんな質問をいつ送ったか、質問状が届いたかどうかも不明なままです。”回答がなかった”、即ち、学生、有権者を軽んじていることを印象づけるための前置きのように感じられます。後者は山尾氏を持ち上げつつ鈴木氏の欠席を暗に批判、しかも名を出さず”自民党の人”という不自然な表現です。

メディアが自身の
主張を第三者に代弁させ、それが恰も大多数の市民の考えであるかの如く読者に同調圧力をかけていく...しばしば露見する印象操作の手口です。極まりない不快感を抱きます。

2017年11月4日土曜日

接待

11/5に来日する米国トランプ大統領を安倍首相は和牛ステーキなどの鉄板料理でもてなす予定であるとのこと。

USビーフではなく和牛ですか...
”日本の牛肉旨いだろ。USビーフより。
と和牛を誇示、宣伝するするつもりなんでしょうか。USビーフって米国の輸出戦略において重要な品目ではなかったかと。

ここはやはりウォールマートの資本が入っている西友のUSアンガス牛で接待するべきです。更に、ステーキ店では質の確認?品定め?のためソテーする前の肉を来客に見せることがよくあります。お約束です。この時ですね、スチロールのトレイに入ったままで、包装用ラップフィルムには”最終価格”のシールが貼付してあれば言うことなしです。

2017年11月3日金曜日

校則

ファーストドーター?であり米国大統領補佐官のイヴァンカ・トランプ氏が来日しているわけですが、大阪府の教育委員会、及び府立懐風館高等学校の関係者は黒髪染めを強要すべきです。
――たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる――
金髪に染めているという理由で入国を許容しない意志を表明する責務があります。”地毛が茶色であっても黒髪以外は認めない”高校が存在している日本国です。金髪に染めて日本に入国するなど言語道断、そういった姿勢を貫くべきではないでしょうか。
――たとえ頭髪が傷んでも、頭皮がかぶれても黒髪に染めてこい。でなければ修学旅行にも参加させない。来日などもっての外だ。――
当人に帰さない理由で公から被る不利益には強い反発を感じます。人権侵害も甚だしく、一体どこの三等国の話なんだと...この上ない失望感を禁じ得ません。