2017年5月7日日曜日

立憲

公共の場における化粧について冗長に書き連ねた結果、思考が発散した状態で立ち止まったままでいます。一旦離れて、旬の話題に触れます。

毎年、憲法記念日前後になると護憲、改憲と喧しいわけです。お約束なんでしょうが、今年は護憲のトーンがやや低めに報じられているような印象を抱きました。安倍政権の憲法改正発言を忖度して、何らかの力が働いているのでしょうか。或いは、護憲勢力がへなちょこ過ぎるのか。特に民進...
憲法改正2020年「施行」目指す 安倍首相、読売インタビューで明言
こういった報道を見聞すると、その度に立憲国家としてこれまで憲法を尊重、遵守してきたのかと疑問の念が去来します。象徴、基本的人権、武力、義務教育、文化的な最低限度の生活...定義の曖昧さが常に付き纏います。

GHQの押し付けとか、時代にそぐわないという論を否定する意図はありませんが、守ってこそ、守る努力を払ってこそ憲法にその存在意義が認められるわけです。

憲法は守られてきたのか、守るということはどういうことか、そういった部分をおざなりにしたまま護憲とか改憲が声高に叫ばれても言葉弄りの感を拭えません。

いくらご立派な憲法が制定されても、解釈で合憲としたり、違憲の放置が容認される国家では、護憲、改憲の声は空虚に響きます。意義を見出だせません。それは無憲国家です。

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