2015年11月13日金曜日

障壁(2)

前のエントリから続きます。

翻って農業分野を鑑みてみた時、果たして日本の行政府は、自国農業の持つ課題を解決すべく真摯に取り組んできたのだろうか、疑念を拭えないでいます。

件のTPP合意に関連し、日本の果物の安全性、美味しさを自賛し、果物の輸出拡大に活路を見出すべき、といった論をしばしば目にします。ドバイやシンガポールの富裕層に、自国内消費者からは信じ難い高値でスイカ、メロン、桃を売る...果実生産者の一部は生き残るでしょうが、違和感を抱きます。果物という嗜好品の輸出で国内農業の衰退が食い止められ、成長産業化が可能なんでしょうか。少なくとも食料の国内自給率に象徴される食料安全保障の状況は、さらなる輸入食料の流入で改善どころか弱体化が進むのでは、と危惧します。

工業製品と同列の比較が適当というわけではありませんが、例えば強引に自動車産業と対比してみます。日本国内の自動車市場は、乗用車分野では輸入車が一定の割合を占めるようになって久しく、今後もこの傾向は変動があったとしても続いていくでしょう。”人や物資を輸送する”といった機能以外の部分、例えば、走行性能、所有欲、個性、見栄といった嗜好や趣味が車種選択に影響を及ぼしますから。消費者から選択の多様性も求められています。

ところが、輸送や移動といった自動車本来の機能が優先される、トラックやバス等の商用車については国産車のほぼ独占です。

需要が消費者の嗜好に依存するフェラーリやポルシェといったスポーツカーメーカだけで当該国の自動車産業は維持できるのでしょうか。やはり、商用車メーカーとしてのVW、メルセデス、フィアットがあっての自動車産業ではないだろうか、ということです。

諸外国の富裕層向けに上質な果物を高値で輸出、というのはなんとなく農産物のフェラーリやポルシェを目指しているんじゃないか、と連想させます。このことを否定する意図は毛頭ありませんが、商用車に対応する、自国内の穀物、野菜、酪農、畜産といった基盤となる食料生産を蔑ろにして、高級果物の輸出生産が成り立つものなんでしょうか。

果物という嗜好品の輸出で稼いで、主食や飼料とる穀物、畜肉を輸入する...釈然としません。”だからこそ、備蓄と国際友好、平和外交を...”という声を理解できなくはありませんが、想定から目を逸らして
―― 全電源喪失はありえない――
で、福島原発はどうなったか、という話でもあります。

それじゃどうするんだ、という話になるわけですが、国内農業の生産性向上を図るのは当然として、やはり補助金政策に頼らざるを得ない、と思っています。

消極的ですが補助金農政を肯定する、ということです。ダンピング価格で流入する輸入食料には対抗ダンピング以外に方策があるのでしょうか。ある意味チキンレース、消耗戦であるのは否めませんが...

だからといって、既得権化した従来制度の延長に対しては全く支持できません。
田舎移住した人を待ち受ける落とし穴
両親が過疎地に移住しました。
「過疎地に若者を呼ぶにはまずそれだけのメリットを与えなければならない」という現実 対する画期的な案

問題の根幹は、こんな処にあるような気がします。TPP絡みの農業支援としては、

TPP対策 農業支援「15年以上」 政府・与党素案 牛肉配慮し長期間に
牛・豚肉、赤字の補填割合9割に 自民、TPP対策
といった報道があるわけですが、ガット・ウルグァイ・ラウンド合意時の経験は織り込まれているのでしょうか。

該合意時に拠出された莫大な農業合意関連国内対策事業費、行政の無謬性を自覚した上でこの費用対効果の検証を糧とすべきです。単に赤字の補填では...国内農業の生産性向上をどのように図っていくか、ここに合理的なビジョンが示されない限り同じ愚の繰り返しです。


明治政府の”富国強兵”、”殖産興業”以降、戦後高度成長期の”兼業農家”、”三ちゃん農業を経て現在に至るまで、労働力を工業へと振り向ける政策が採られてきたように思います。その流れは未だに歯止めがかからず、離農率や耕作放棄地の増大に繋がっているわけです。

以前、TPPに対する是非論が闘わされていた頃、NHKの朝ドラ”花子とアン”が放送されていたかと。このドラマで描かれていた、日本農業の源流である明治〜昭和初期の貧農の姿を見て、生業としてではなく産業として日本の農業には可能性はあるのだろうか、ぼんやりと思いが過ぎりました。

勿論、時代は全く異なり、当時とは様変わりしていることは承知しています。ただ、当時の地主-小作農の関係は早期に会社形態の農業組織を実現する機会となり得たはずです。厳しい封建主義的関係から脱し、上手く近代化されればの話ですが...こういった農業組織が現代に引き継がれていれば、今ほど農業は衰退しなかったかもしれません。勝手な想像です。

現実には、戦後、GHQの強い力による農地改革で、農地は小口に分割され各々の元小作の所有となったわけです。系はエントロピーが増大する方向に進みます。農業の生産性向上の一策として農地の集約を考えた時、GHQの強制力で分割離散した農地を再集約するには、該強制力以上の強い力が必要でしょう。バラバラにするのに要した以上の力でなければ集約させまいとする抵抗力に打ち勝てません。GHQ以上の力?難しい話です。

この難しさ、実現可能性の低さが農業への補助金拠出に対する拒否反応の根源になっている気がしなくもありません。


(続)

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