勿論、ギリシャの公務員比率、年金、産業といった構造的問題に起因する国家としての生産性に問題はない、とするつもりはありませんが...
”皆仲良く手を取り合って”叙情的に表現すれば、現代西側社会に根ざしたそういった欺瞞が吹き出したかに見てとれます。
身近な例を挙げてみますと、
今日、幼稚園、小学校の運動会で催される徒競走では、みんな一緒にゴールして順位をつけない、といった話を伝え聞くことがあります。どの程度一般的な話かは存じません。
更に加えれば、初等教育課程における、習熟度に依らない画一的な教育プログラムも同根です。
伸びるべきを伸ばし、不足分は補っていく、そこに恣意的に下駄を履かせたり、ハンデをつけて横並びに扱っても、内部応力が増大するばかりでは、と思うわけです。増大した応力は遂には枠組みの歪、綻び、破綻へと繋がってしまいます。
やはりですね、
”魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える”
”魚のもらい方ではなく、獲り方を考える”
ことこそが真っ当な取り組み方じゃないでしょうか。
ちなみに、ここの所、某為替操作国も景気というか株価対策の目的で頻繁に為替レートを弄っていますが、自国内には結構応力が溜まっているなぁ、とみています。その綻びが発端となって世界が振舞わされるのもなんだかなぁ、といった思いです。
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