2015年6月16日火曜日

齟齬

憲法解釈が時代とともに変遷するのは当然のこと。司法では憲法解釈が変わることは当然ある。
該発言は橋下大阪市長のツイートからです。


単なる一作業員で、法曹界からはとんでもなくかけ離れていてよくわからないのですが、上記考え方というのは法曹界の共通認識、常識なんでしょうか。

いや、時代と共に人権、平等、自由、公共といった概念が変化するであろうことは理解できるのですが...

”時代”という理由で、文言の解釈変更を容認するということは、起草者の想定外の解釈をも認めるということです。

概ね自らに都合のいい解釈が生み出されるのは明白です。起草者の意図しない、
”そんなつもりじゃなかった”
解釈でもまかり通ってしまいます。

”海”でも”空”でも、その色は、青、緑、群青、エメラルドグリーン、翡翠色、若草色、透明、ベージュや肌色、黒だってあるわけです。現行憲法の意図する色を棚上げし、本来の意図と違えた色を”これだ”と断定的に強弁するのは”全権委任法”より質が悪いかと。

やはりですね、その解釈が制定時の意図から逸脱していないか、故意に歪曲していないか、といった精査は不可欠です。

そもそもの意図、条文の主旨に沿ったものか否かを慮らない解釈は排除されてしかるべきです。それでも尚、意図する処に合致した解釈であるとの主張ならば、当然その確証を示すべきが法治国家としての責務と考えます。

人治主義なら話は別なんですがね...

4 件のコメント:

  1. 作業員さん、こんにちは。
    作業員さんの、このブログ、時々拝見いたしております。

    さて今回のテーマ、「解釈変更」ということですが、解釈変更がなされてきた、また解釈変更が大きなテーマになりうるということは、すなわち、起草文の曖昧さ、不正確さを意味しているものだと思っております。
    起草文が曖昧である故に、多くの碩学が喧々囂々と議論をし、飯の種とし、そしてまた彼らも時代の変化に応じて持論を変えてきたのではないでしょうか?

    「”時代”という理由で、文言の解釈変更を容認するということは、起草者の想定外の解釈をも認めるということです。」


    これを憲法前文及び第9条にあてはめてみますと、私自身(もちろん法曹界の人間ではなく、一人の素人ですが)、自衛隊は明らかに憲法違反だと考えております。
    多くの憲法学者も、かつては自衛隊違憲論者ではなかったでしょうか?

    『平和を愛する諸国民の公正と信義に(に、の文法的な意味は不明)信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(不公正と背信のはびこる暴力的な国は無いのでしょうか?)
    国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』

    自衛隊は、どこから見ても明らかに軍隊です。世界中の誰が軍隊でないと考えるでしょうか。
    国内では「国家公務員」でも、海外に派遣されると「軍人」、このことが世界での自衛隊に対する認識の事実を物語っています。

    自衛隊が存在する以上、既に起草者の意図しない色になっているのです。
    憲法第9条を護るならば、即刻、自衛隊を解散し災害救助隊にでも改編すべきではありませんか?
    自衛隊を認める人間は、法治国家の責務を放棄している輩なのです。
    繰り返しますが、自衛隊を認める人間に、法治国家を論ずる資格はないのです。

    自衛隊の行く末につきましては
    ①違憲だから自衛隊は廃止すべきである
    ②違憲だから違憲状態を解消するために憲法9条を改正すべきである
    の二者択一しかないと考えます。

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    1. こんにちは。コメントありがとうございます。恐縮しています。

      私の立場ですが、改憲論者です。加えて言えば絶対的な平和主義者ではありません。

      > これを憲法前文及び第9条にあてはめてみますと、私自身(もちろん法曹界の人間ではなく、一人の素人ですが)、自衛隊は明らかに憲法違反だと考えております。
      多くの憲法学者も、かつては自衛隊違憲論者ではなかったでしょうか?
      <先日テレ朝が憲法学者に件の安保法制の違憲、合憲についてアンケートを取っていました。圧倒的大多数の学者が違憲、或いは違憲の疑いがある、との回答でしたが、自衛隊そのものの存在の合憲性については触れられていません。憲法学者の、自衛隊に対する認識が実はどうなのか、興味があるところです。

      上述しましたように、法治主義を堅持するならば、私は改憲すべきと考えています。問題は、改憲のイニシアティブを取るであろう人々にその資質、力量があるのか疑わしいことです。改憲はすべきだが、”あんな連中にはしてほしくないなぁ”、というのが素直な印象です。憲法改正に手を付けるには相応の見識、理念、信条、合理性、倫理性が必要かと。

      勝手な解釈で”合憲”と強弁しているようでは、とても改憲を行うには役不足、ということです。以前にも中曽根、舛添、石原といった面々が新憲法草案を出したり、これを批判したり、挙句には現行憲法は破棄、などといった動きがあったわけですが、結局たち消えになっているかと。この時も、情緒的な語が羅列され?と思いました。その後それどころじゃなくなって民主党政権を誕生させてしまったのはご存知の通りです。

      例えば、一票の格差問題やら、議員定数削減等、自らの不利益になることは未だ是正できていないわけです。そういった連中が憲法を弄ることには抵抗を覚えます。為政者含め社会がもう少し賢明にならない限り無理かもしれません。そういった意味では真っ当な人々による改憲を望む、条件付き改憲論者ということでしょうか。

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  2. 作業員さん

    早速の御返事、ありがとうございました。

    『憲法学者の、自衛隊に対する認識が実はどうなのか、興味があるところです。』

    私も興味があります。しかしテレ朝が、番組自らの主張に少しでもマイナスとなるような報道をするわけがないでしょう(笑)

    作業員さんもおっしゃるように、私も国会議員という人種を信用しておりません。
    天下国家と言いながら、その実は、議員という身分を守るために信念や倫理というものを捨て去った輩に過ぎないと思っております。
    特に、リベラルと呼ばれる連中は信用しておりません。
    その代表は、村山富市という男です。
    自衛隊違憲論者でありながら、総理大臣になったとたん自衛隊を合憲とし、総理大臣を辞めたとたん再び違憲論者に逆戻り。理念や人間としての矜持というもののかけらもない男です。日本人として、最も恥ずべき男だと考えております。
    大臣になりたくて、所属する政党を裏切った某女性政治家も、しかりです。
    このような、ダブルスタンダードを恥と思わない政治家が多すぎます。

    一方で、右寄りの政治家も、作業員さんがおっしゃるとおり、あまりに情緒的な面が肌に合いません。利権まみれが多いのも特徴かもしれません。

    実は、私は政権交代が必要と、民主党政権誕生に一票を投じました。しかし結果は、あの体たらく。
    あそこまで酷い政党だとは思っておりませんでした。強く強く反省しております。

    憲法改正について考えますと、その権利が国会議員に握られていることは、国民の不幸だと思っております。
    本来、国会議員よりも国民のほうが主権者であるべきです。
    それなのに、憲法改正の発議が国会議員の1/3の意志に委ねられて、なかなか国民の判断を仰げないことは、不条理極まりないことだと思っております。
    主権在民でなく、主権国会議員ではありませんか?
    私は、憲法第96条は、主権在民を定めた憲法のもとでは、まさに違憲だと考えております。

    それと同様に、既存のメディアも信用しておりません。
    日本のメディアの多くは、公正を標榜しながら、実のところ、偏ったイデオロギーのプロパガンダペーパー、そしてその系列の放送メディアです。その主張のためには、ダブルスタンダードも平気です。右も左も同罪だと思っています。
    メディアは第四の権力です。毎日毎日、これでもかこれでもかと、読者や視聴者を洗脳しています。
    私は新聞を四誌購読していますが、それぞれの偏りには著しいものがあります。
    一方に偏ったローカルペーパー(ほぼ独占状態の)が存在する地域では、その偏りに影響され賛同する住民が多くなっているのも事実です。
    その点では、メディアに足を引っ張られる政治家が結論を急ぐのも、無理なるかなと思う面もあります。

    戦争は絶対悪です。人が人を殺して良いわけがありません。
    日本は、未来永劫、戦争を仕掛けてはなりません。
    しかし、売られた喧嘩は買うしかありません。現在のチベットや東トルキスタンのようにはなりたくありません。
    売られた喧嘩を買うだけの準備は必要です。

    無理やりとも言うべき解釈改憲の必要のない、誰が見ても読んでも、真意の明らかな憲法にすべきです。
    しかし、ほとんどのメディアが偏っている現在、国民が正常な判断を下すことは困難でしょう。
    私自身、心がけていることはメディアリテラシーです。
    メディアの欺瞞やダブルスタンダードを許してはなりません。
    そして、偏りのない考え、真実を見分ける眼、それらを国民一人一人が身に着けることを願う毎日です。
    長文、失礼いたしました。

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    1. こんばんは。再度のコメントありがとうございます。

      ”憲法学者は「自衛隊は違憲だ」という訴訟を起こせ”(http://agora-web.jp/archives/1645634.html)
      まぁ、こういうことかと捉えています。この方の考えを全て支持するわけではありませんが。

      > 私も興味があります。しかしテレ朝が、番組自らの主張に少しでもマイナスとなるような報道をするわけがないでしょう(笑)
      < web上ではちらほらと上述のような声が上がっているかと。残念ながら非力ですが。

      > 特に、リベラルと呼ばれる連中は信用しておりません。
      < 余計な話ですがこの”リベラル”という語の取り扱いが実は厄介です。ある時には左寄りの思想を示す語として使われますが、自由主義、進歩的といったイメージを抱かせる語でもあります。(”リベラルな校風が特徴の伝統校”、といったように。)かなり以前の話ですが、”リベラル=左寄り”がイメージできませんでした。

      > 実は、私は政権交代が必要と、民主党政権誕生に一票を投じました。しかし結果は、あの体たらく。
      < 近年の選挙における選択の動機は、当たりクジなど入ってないことを承知し、その上で消去法によって如何にマシな外れクジを選ぶか、といった印象を強く感じます。

      > 無理やりとも言うべき解釈改憲の必要のない、誰が見ても読んでも、真意の明らかな憲法にすべきです。
      < 仰るとおりなんですが、誰に任せられるかが問題かと。本気で改憲に取り組みたい政治家がいるのか、実はいないんじゃないかとさえ疑ってしまいます。

      来夏の参院選から選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられる見込みです。遅きに失していますが今からでも、初等教育課程で憲法、平和、国家、民主主義、選挙、メディアリテラシーについてもう少し学ぶ機会が設けられるべきではないかと思っています。決して、思想教育ではなく、どう向きあっていくかという意味でです。難しい話ですが...

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