で、選挙カーには
格差是正と大書された看板が載っています。
ピケティブームに乗っかってでしょうか。底の浅さを感じないわけではありません。まぁ、理念も政策も聞いてるわけではありませんが。
軽々に、格差是正などと大口叩かない方が賢明かと思うわけです。文言の重さを背負えるのでしょうか。
で、聞きかじりからの憶測を続けます。
r(資本収益率)>g(経済成長率)は資本主義の本質であるため富が集中し、格差の拡大は避け得ないと。で、行き過ぎた格差を是正するには国家が介入し、持てる者の資産に課税し、富の分配がなされるべきだと。
国家はそれほど賢くないのではないか、斜めに見ている私には、国家の介入には抵抗があります。反対というわけではありませんが積極的な支持は躊躇するということです。
課税される側も、富の分配に与る側も、自由主義経済における”富の追求”という行動原理が国家の介入によって削がれないでしょうか。行き過ぎは社会主義体制への移行を意味します。それが目指すべき姿ではないのは明かです。
それ以前に、国家が適切に管理できるとは思えないのです。
同時に、国家の介入による富の分配で、資本の利潤を求める姿勢がより強大にならないだろうか、といった疑問も生じています。
今、r-gに相当する富を資産税として徴税するとします。富の所有者の実質的な収益率は下がってしまいます。
この時、徴税分を加えた更なる収益を追求しようと、資本はよりグリード(強欲)にならないでしょうか。収益率として
r+(r-g)を目標に据えてしまうということです。結局、格差は是正されることなく、税負担だけが増やされていくと...
――音楽が続く限りはダンスをやめようとしない――
これも資本主義の本質です。状況が好転することなく、際限なく課税が繰り返されてしまうことを危惧します。
国の側からしてみれば好都合かもしれません。社会保障費が足りない、国の債務増大に歯止めをかける、といった理由による消費増税と同じ構図です。徴税するいい大義名分ができたと。足りなきゃ税率を上げればいい、格差是正が不十分なら更に資産税を増やせばいいわけです。イタチごっこを己の匙加減で続けられます。
税率は安易に書き換えられます。で、徴税された公金の一部は様々な名目で補助金となって、企業に交付され、”知らなかった”政治屋のセンセイがたに還流したりもするわけです。
公金に対する意識がそういった程度の行政府の下で、格差是正の方策として資産課税の効果に疑問を払拭できないでいます。
単に持てる者の資産に課税すればよしとするだけでなく、徴税した資産税を格差是正を含めた公益に如何に支出していくか、丁寧な議論を期待したいところです。
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