2014年12月23日火曜日

記念

”東京駅開業100周年記念Suica”について少し。

15000枚限定販売への殺到、涙と怒号、罵声、不手際の混乱を経て、希望者全員が購入可能になったようです。
「東京駅開業100周年記念Suica」の今後の発売について
この決定で転売価格が乱高下しているのは、元々のタイトな需給関係に基づく価格形成に、次元の異なるSuica緩和で、供給がじゃぶじゃぶになるであろうことによるものです。

同様な操作は国債を使っていくつかの中央銀行で進行中です。

偶々、今朝の報道バラエティ番組で、上記JR東日本の決定の賛否に対する街の声が取り上げられていました。で、賛成者と反対者のみの割合が示されていたのですが、”どうでもいい”、いわゆる白票、棄権者、無党派層の割合は端から排除されているのでしょうか。

先の国政選挙にも似て、低投票率の中での多数意見によって、あたかもそれが全体の信認された意見として伝えられてしまうのもどうなんだろうか、と思った次第です。

まぁどうでもいいことです。

本来、”記念”、”限定”といった語は価値体系を構築するキーワードの典型です。元締めである発行者はこういった語を巧に使い、人気や希少性、即ち価値を操作しながら市場を形成していくわけです。

付加価値、プレミアムとも称される下駄が履かされていることになりますが、この下駄が虚構か否かは各々の価値観によるのは勿論です。

オランダのチューリップバブル時の球根、コンプガチャが問題となったゲームアイテム、カードゲームのレアカード、切手、コイン等と根源は同じかと。
”持っててどうすんの?”
というのが素直な印象です。値上がり益云々はまた別の話です。

価値がわからない奴は黙ってろと言われれば、仰る通りでございます。

ところで、アベノミクスと称される経済政策で、異次元の金融緩和の真っ最中です。日銀が野放図に国債を引き受けて市場を金でじゃぶじゃぶしようと。ところが、民間の金融機関には貸出先企業が増えず、日銀が国債購入で供給した金は日銀の当座預金にブタ積みになっているとのことです。

ブタ積みされる日銀供給資金と退蔵される記念Suica、流動性が低く生み出すものがないという点で似たものを感じます。

定性的な話です。民間の金融機関が日銀に持つ当座預金から資金が動き出し、様々な経済効果を生みながらも最終的にSuicaとなって退蔵されると。以降は価値を生み出さないわけです。記念Suicaに限らず、他にも更に大きな規模でそういった、退蔵、ある意味需要不足が起きていないでしょうか。

この資金やモノの流動性が低く、澱んでいる状況ではなかなかいい話にはならないだろうなぁと思った次第です。

水は高きから低きに流れますが、この時、勾配が0に近ければ流れは緩慢です。場合によっては止まったり逆流したりします。で、上のタンクにどんどん水を追加して下へ流したいわけですが、上下のタンクを繋ぐ配管が細かったり、管壁、混入異物、フィルタによる抵抗が大きければ流量は上がりません。

更に、下のタンクが既に満水であるならば、水は流れません。上のタンクに水を追加し過ぎれば、タンクや配管は破裂してしまいます。

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