2014年12月16日火曜日

有体

度々閲覧しているブログサイトに、
身土不二の赤玉と、アクアファーム秩父の彩美卵 輝の卵かけご飯
といったエントリがアップされていました。思ったところを少し記します。該エントリ、及び、ブロガー、卵の生産者の方々に対し特に意図はありません。単なる端緒です。

旧小原村の卵1kg分でも一個すら購入できない高級卵とこの卵を使った卵かけ御飯についてのエントリです。美味しいであろうことは想像に難くないわけです。

ただ、果たして自分はその特別な旨さを実感できるのだろうか、といった疑問を抱きました。 

前のエントリでも触れていますが、”卵かけ御飯”が好物なわけです。溶いた卵に、醤油のみならず、白醤油、出汁醤油、果ては鰻のタレ、昆布やアサリの佃煮の煮汁等々を加え、そこに炊き上がった直後の白飯を投入する、これでもう十分満足してしまう気がします。

熱々の白飯で適度に加熱され、濃厚になった卵の味わいといったら...

卵かけ御飯好きが、該高級卵の真価を実感するには、それなりの条件を整える必要がるでしょう。卵かけ御飯だからなのか、卵が優れているからなのか、単に、”旨い、旨い”で終わってしまうようにも思え、なかなか難しい話にもみえます。

ライ麦入りパンのエントリと同様に卵や卵かけ御飯が好きでも嫌いでもない、それほど関心がない、といった層に対してこそ初めて該高級卵の真価が伝わるのかもしれません。
――わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~――
と 問いかけられれば、”わかりません”と応える外ありません。

さて、それはさておき、というか、そういったことを前提としてです。近年、テレビの料理バラエティ番組、雑誌の特集、更にはネットからの情報、冷蔵や冷凍宅配便といった物流技術、荷物のトラッキング、多様な決済手段といった情報技術が反映されてか、日本全国から多種多様な食材を居ながらにして入手できるようになりました。個人輸入という形で海外からの入手もかつてほどハードルは高くありません。

物資の世界中を駆け巡る流動性が極めて高くなっているわけです。全国津々浦々の特産品、生産地でのみ消費されてきた希少品が容易に入手できる一方、汎用的な生産物は大げさに言えば世界中の産地との競争を強いられています。

こういった輸送技術や情報技術の発達に伴う産地間の競争は避け得ないものであり否定するつもりは全くありません。水が低きに流れるが如く、需給に応じて物資の動きが変化するのはやむを得ないことです。

ただ、時折競争を有利に進めようと、売らんかなを目的に、実体価値以上に宣伝広告で購買意欲を煽る風潮を感じます。ブランド化、差別化などで付加価値をつける、言い換えれば本来の価値を虚飾して下駄を履かせているわけです。

食材、食品では、産地、売上、人気ランキング、生産者の弁、評論家含め著名人の推薦、口コミ等がツールとして利用されています。線引きが曖昧ですが、いわゆるステルスマーケティングはその延長に位置付けることができます。

勿論、真っ当な付加価値が加えられた食材、食品があることも十分認識していますが、そういった真価を埋没せしめ、足を引っ張らんとする虚飾に溢れていることも事実です。

評価が味覚という主観的感覚に依存せざるを得ない食の分野では、そういった虚飾から逃れられない、受け入れざるを得ないのかもしれません。評価の曖昧さ、客観性という点で文芸、映画、音楽、服飾、陶芸、絵画、陶芸、建築等でも、特にメディアの介在が顕著な場合、似た印象を抱くことが少なくありません。

古くはエコポイントという経済政策、和食の文化遺産登録や富士山、富岡製糸場の世界遺産登録といった観光振興策にも共通した、内容の伴わない気持ち悪さを感じます。これらも環境、文化の名を借りたあからさまな景気対策、観光資源の収益化でした。

かつて、物価の優等生とも言われてきた卵です。特段、安価であって欲しいわけではありません。ただ、こういった身近な食材こそ、虚飾を排し有体であって欲しいと思っています。質の伴わない過剰な煽り文句こそが不要です。

(続)



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