2014年11月12日水曜日

槍玉(2)

更に、政治を生業として捉えた場合、果たして、合理的に報酬、特典が規定されているのだろうか、といった点も首を傾げています。傾げっぱなしです。

営利を目的とした事業会社の場合、経営者の報酬は当該経営者の事業運営によって得られた利益を基に決定されるわけです。政治屋の報酬も自身の活動によって獲得、蓄積できた国富、公益に基づいて決定されるべきではないかと考えます。

この国富、国益を公正、客観的に量ることができない以上政治の生業としての妥当性に欠けるのではないでしょうか。少子高齢化、社会福祉費、国家財政、GDP、需給ギャップ、失業率、領土交渉、エネルギー、教育といった諸問題において、一体どれだけの国益を積み増すことができたのか、そういった視点で、政治活動による成果が政治を生業とする方々の報酬に反映されるのはやぶさかではありません。

逆に言えば、国富、公益を稼いでいない、若しくは、評価できないならば、政治は生業としての適格性を欠いているとみています。

生業とするならば、例えば、安全確実に政府系ファンドを運用し年金財政の大幅な改善をもたらしたとして、これが特定の政治屋の功績であるならば報酬面で報われて当然と受け止めます。

一方、かつて道路建設の是非を判断する指標として費用便益比(B/C)が注目された際、”B/Cがどうであれ必要な道路は作る”といった代議士の発言を聞いた覚えがあります。嘆息してしまいながらも、”民主主義社会らしい負担の付け回しだなぁ”という印象を抱きました。ある意味国富の毀損とも捉えることができ、やはり報酬に反映させるべきかと。

現状では、政治活動に対しそういった評価が行われるわけでもなく、又、国富の損失を招いても政治屋が責任を問われることもないわけです。不祥事絡みでは辞職、辞任、減給がありますが、政治活動の成果とは無関係です。

改めて、政治は生業にはなり得ないと思うわけです。

付け加えれば、上述の報酬、文書交通費、及びその使途、事務所費、政党交付金、議員宿舎といった特典の利用についての適否、或いは制度そのものの是非が繰り返し問題となってきました。こういった問題についての与野党間の諍いに人、金、時間といった資源が浪費されるのも、非効率、無駄であり、国益に反していると考えています。

で、こういった政治を生業とすることに由来する問題や非効率性は政治の生産性を阻害しますから、排除するに越したことはないと。前のエントリで記しましたが、ある部分の公平性を制限する、即ち、政治を生業とせざるを得ない候補を排除することで政治全体の公正化と効率化を図るのも一案ではないでしょうか。

政治活動をする中で、自己の経済的利益など卑小なこととして一顧だにしない、する必要のない程の強固な経済的基盤を被選挙人としての要件とするわけです。国益のために無私の立場を貫き通すにはやはりそれなりの経済的余裕が必要ではないかということです。

典型はホテルのバーに足繁く通っていた、麻生太郎副総理兼財務大臣、偽装献金問題が取り沙汰された鳩山元首相といった辺りでしょうか。為政者としての資質、能力はさておいてですが...

政治家以外ならば、カジノで105億を溶かした井川意高 大王製紙前会長はどうでしょう。正に能力と資産の浪費でした。ギャンブル依存に陥る前に、周囲がヨイショして政治家に転進して頂くのが賢明だったかと...無駄に資産を喰い潰すなら良くも悪くも政治の方がまだましではなかったかと思うわけです。もっと短時間で溶けていたかもしれません。

確かに、国政に対し高い志を抱きながらも経済的事由から出馬を断念せざるを得ない、優秀な人材の機会を奪ってしまうのは事実です。しかしながら、”貧すれば鈍す”というのも又事実であり、被選挙人を制限することで政治を生業とすることに由来する問題を予め排除し得るならば、一定の理があるのではと考えます。

規制を出来る限り緩和、或いは、取っ払って、上述のそういった資産家の方々から政治活動や選挙運動に遠慮無く私財を投じてもらう、躊躇うことなく自腹を切って頂くわけです。それこそ田地田畑余さずです。

かつては、利益供与、極端には”金で票を買う”ことに対し今ほど厳しい目が向けられなかった、地方になるほどズルズル、ユルユルだったはずです。で、そうやって自腹を切って名を残してきた、地方の名士と呼ばれる方々も少なくなかったと思っています。

機会が均等ではない、不公平と言う理由で、経済的に余裕がある層がお金をばら撒くのを抑えるより、逼迫している層の出馬を制限する方が政治的には生産性が高いのではないでしょうか。民主政治として健全性はともかくとしてです。

選挙の際、被選挙人から選挙人への利益供与が禁止されているのは、利益供与によって歪曲された民意が政治に反映されてしまうことの防止がその目的と理解しています。しかしながら実は、健全な民主政治の確保だけが目的ではなく、利益供与合戦に陥って被選挙人各々の資産が選挙人に喰い潰されてしまう、不毛な疲弊を防ぐ趣旨も込められているのでは、と勘ぐっています。この頸木を外すわけです。

被選挙人による自らの選挙区への利益誘導と、有権者への利益供与、
前者は多くの場合合法ですが、後者は公選法に抵触します。ただ俯瞰してみると、両者には大きな違いはなく、同質の根幹に依っているのではないでしょうか。


(続)

0 件のコメント:

コメントを投稿