2014年1月22日水曜日

人材

都知事選が近づいてきました。

更に脇道に外れます。

メディアが演出する、憶測と思惑に満ちた三文芝居というか、政治バラエティを否応なしに見せつけられるわけです。


有権者でなくとも、既にかなり食傷気味です。

で、この人材の枯渇ぶりは...




もはや、Dr.中松氏に託す外ないのでしょうか。

以前にも記しましたが、為政者として期待できる人物が払底しています。

投票日に向かってエントロピー増大の一途となる、都知事選という政治パフォーマンスについて、思ったところを無責任に挙げてみます。


1.争点

前都知事辞職の理由を鑑みれば、不透明な政治資金の排除が争点一つとなってしかるべきかと考えます。しかしながら、それほど重視されていないように見受けられます。

首都とはいえ地方自治体の首長選程度では争点となり得ないのか、或いは、前都知事に特異な事由ということで収拾してしまったのでしょうか。

どういった条件ならばこの問題に焦点が当たるのか、果たして指摘できる誰かが存在するのか、関心を持っています。


2.分断と除名

隠遁老人を俗世に引っ張り出し、脱原発の神輿に仕立て上げるのは、脱原発支持者の分断を目論んだものかとの勘ぐりが頭を過らないわけではありません。

過去の都知事選でネームバリューを利用された元国連事務次長の姿と重なって見えてしまいます。

シングルイッシューの連呼による、天性の人心掌握力を誇るあの元首相が除名されるのか否か、興味は尽きません。


3.迷走

当初、脱原発を謳う陶芸家に出馬の打診をしたのは民主党と聞いています。大飯の再稼働決定は民主党政権下での判断ではなかったかと。迷走は続いています。


4.逆世代交替

原発が都知事選の争点となり得るのか、といった問いに対し、自治体首長の権限の範囲内で脱原発に向かう政策が実現可能であると考えています。

ただ、脱原発とか原発推進といった是非論以前の話です。

隠棲し作陶に勤しむ年寄を、今更都知事選に引っ張り出してどうすんだ、というのが率直な印象です。山で政の修行をしていたわけでもないでしょうし...表舞台を退いてかなりの時が経過しているわけですが、その後のギャップを埋められるほど政治は停滞していたということでしょうか。

この方を強く後押ししたのも又、政界を引退したはずの隠居老人です。加えて、この御仁は現役時代、自民党総裁の座にあった時、世代交代、若返りの名目で宮沢元総理らに代議士引退を迫り引導を渡しています。

全くもって世代交代に逆行しています。代謝を妨げる老害以外の何者でもないと考えます。

更に言えば、右的政策を主張されている他候補の背後にも依然として暴走老人の姿があります。この候補を、思想、信条の面で前都知事の後継と表面的には連想できないのですが、いずれも該暴走老人の傀儡とみれば、大きな矛盾はないのかもしれません。

”老いては子に従え”ではありませんが、いつまでも引退世代の政への介入を許し、委ねてしまうのは果して適切なことなのでしょうか。

社会牛耳る元気な高齢者の存在は、長寿社会では当然であり、民主主義社会の本質かもしれません。ただ、若年層への責任や負担の押しつけ、将来世代への問題の先送りは止むことなく続いてしまいます。

本来ならば、平和的、対立的を問わず、とうに後継世代がこういった老人の跋扈を容認せず、引退を迫っていてしかるべきではないでしょうか。それは後継世代に課せられた義務の一つでもあると捉えています。

未だ権勢を振るわんとする高齢者に対し、これに抗い世代間対立を躊躇うことなく引退に追い込まんとする、後継世代の気概、力量、冷徹さの欠如に淋しさを禁じ得ません。




繰り返しになりますが、だからと言って私自身が原発推進を支持する立場ではないことを重ねて強調しておきます。

まぁ、冒頭の中松氏も高齢者だったわけですが...
 




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