2013年10月22日火曜日

行儀

以前、ルキウスさんが自分の隣の席に荷物を置く、寿司屋や割烹に設えてある白木のカウンターに余計な物を置くといった行儀が良くない所作について、幾度となく取り上げています。

医者にしちゃあ、ようでけた人だ 
スパゲッティ「コモ」にて
カウンターに物を置くな

大いに首肯できる指摘と思いながらも、果して、そういった無作法が正されていくことは期待できるかを考えれば、残念ながら、なかなか難しく、今後もそういった不快な場面に遭遇してしまう気がします。

自分が無意識にその当事者になってしまう可能性、自戒も込めて考えてみます。

上記エントリではメガネ、サンバイザー、カバンをカウンターに置いた出来事が示されています。カバンをカウンターには論外かと考えますが、当人に取ってはメガネ、サンバイザーの延長なのかもしれません。”メガネは良くてなぜカバンはダメなのか”と...衛生面や物理的スペースの面で論外と考えるわけですが、置く側にとってはそういう意識もないのかもしれません。

サンバイザーは帽子の類(=装身具、衣類)ですからカウンターに置くのは不適切です。この辺りから店と来店客のミスマッチが生じ始めると考えます。

極端にはクロークがあって手荷物、帽子、コートを預けることができ、それが当然の料理店のテーブルと、コートを着たまま、更には帽子も被ったまま飲食しても何ら違和感のない駅の立ち食い蕎麦屋や牛丼店のカウンターとを、同列に論じるのは無理があるということです。

これら飲食店の間に位置付けられる店も相当数に上ります。結局、設備とは無関係に来店客の手荷物、携行品に配慮できる店とできない店、飲食の際に荷物や携行品を程よく納めておきたい客と無頓着な客、各々の組合せで、品性に疑問符のつく場面に容易に出会してしまうのではないでしょうか。

これは、いわゆる高級店か否かには依りません。椅子の下に荷物を保管するカゴを置いている、或は、カウンターの下に棚が作られている、小体な街のラーメン店もあります。一方、それなりの店であっても、手荷物を直に置くことが憚られるような床があるのも事実です。総じて、傾向がないわけではありませんが...

さて、メガネをカウンターに置くことについてですが、私自身はほぼ置いてしまってます。無意識に...

で、もう少し広げてタバコとライター、昨今では、ケータイとなるとどうなんでしょうか。禁煙の飲食店が増え、喫煙者が減少する状況でカウンターに置かれたタバコとライターを見ることは少なくなってきたかもしれません。ただ、その一方でケータイはカウンターに溢れています。

手元になければならないのでしょう。皆さん防衛大臣だったり、救急病院の医師だったり、更には、日本経済や世界平和の命運を左右する重責を担っていますから。

第一、ケータイで出された料理の写真を撮らなければなりませんし、己の存在を確認するための大事な分身でもあります。

余計な話はさておき、やはりカウンターに無用品を置くという行為はなくならないでしょう。個々の客のカウンターに対する捉え方は千差万別であり、一方、店側の想定するカウンターの使われ方にも温度差があります。

育ちの問題と言ってしまえばそれまでですが、分別をつけて使い分けるのは困難です。駅の立ち食い蕎麦屋、牛丼屋、街場の中華屋、回転寿司のチェーン店、居酒屋、バー、カラオケスナックの訪問客が果して、割烹、対面の寿司屋の清潔な白木のカウンターに価値を認めたり、敬意を払うことができるのでしょうか、疑問です。勿論、客に一目置かれるカウンターが一体どれだけの飲食店にあるのか、といった疑問も同時にあるわけですが...

結局、そういったことを誰から教わるか、知らされるかに帰結するのではないでしょうか。

飲食店でいえば若き日の池波正太郎を注意した店でしょうがそういった僥倖に巡り会えることはなかなか稀でしょう。学生や新社会人ならともかくベテランの社会人に注意を促すのは店側からすれば勇気が要ることです。俺ルールを強いる店とは全く違いますし...

酒食を共にする先輩、上司、同僚、友人間の自然発生的な醸成くらいかもしれません。ただ、これとてどこまで期待できるか、疑問ではあります。

以前のエントリで、公共の場に乳幼児を帯同した場合のマナーについて触れました。他にも列車内の座席指定に纏わる不快な出来事事態に遭遇することも珍しくありません。

いずれにせよ、社会には、日常のごく普通の生活、行動、振舞、所作におけるマナー、モラル、エチケットについて教える、知らせる、或は、学ぶ、知る機会が圧倒的に欠けていることを痛感しています。

飲食店の主人、従業員、公共交通機関の駅員、車掌といった職員に責を負わせて解決が進む問題でもありません。

となると義務教育課程でしょうか。いじめ問題が注目され義務教育への道徳の教科化が検討されているようです。ただ、道徳教育は、個々の価値観に踏み込む部分もあり一律に教え込むのも如何なものか、といった印象を持っています。

道徳教育などと大上段に振り被る以前に、身近な社会の知識やルールを伝える責務こそを義務教育課程が担うべきと考えます。

優先すべきは明文化されていない、暗黙であるが故に曖昧な
社会のルール、マナー、モラルをその根拠と共に理解させることです。そういった個別具体的な事例を通じて初めて、道徳という観念を捉えさせ、考させることができるのではないでしょうか。

勿論、ここに飲食店のカウンターを含める必要はありませんが...



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