2013年10月4日金曜日

脚色

引き続き漫画”はだしのゲン”の学校教材としての適否について記します。






2.内容の真実性


前のエントリで挙げたリンク先(新しい歴史教科書をつくる会)には、政治面、思想面で反体制的な表現が含まれていることが教育基本法、学校教育法違反である、又、根拠のない歴史が事実かのように扱われている、これらを理由として、該漫画の撤去を要請する旨、記述されています。


該団体の意図が込められた文面を諸手を上げて支持するつもりはありません。例えば、これらの理由の中で最初に重きを置くべきは内容が事実か否かであると考えています。


上記法令についての違法性の指摘以前に、児童に平和に関する価値観を理解させる教育教材として、更には、児童に限らず読者に情報を伝える資料としての適否を検討するべきではないでしょうか。


文書を介した情報の伝達では、発信者の意思、思考正確に相手に伝わらないこと、誤解、齟齬はごく日常的に生じています。そこで、発信者の意図通りに情報を相手に理解、共感させ、ひいては納得、支持させるために、情報を裏付ける事実を用いて情報の真実性、説得性を上げる手法が常套的に採られます。


これは誤りのない事実の前では、例えそれがある程度非論理的で否定したいものであったとしても、事実であるならば受け入れざるを得ないという共通認識があるためです。

逆に言えば、目論見通り趣意を相手に納得、同意せしめることを目的に、誤認に導く歪曲した事実、極端には錯誤させる捏造した事実が手段として利用できてしまいます。伝える情報が事実であったとしてもそれが定性的事実に留まっていれば、歪曲した定量的情報を付加した作意的な誘導は可能です。

こういった事例は大手メディアを介した政治家、官僚の発言、ツイッターやブログ等のSNSメディアを介した反原発、或は、原発推進といった形でかいま見ることができます。

いわゆるポジショントークとか印象操作と称される類のものです。最近の旬といえば、消費税の増税関連でしょうか。

従って、偏向なく正当に相手を理解させる材料としての事実には高い客観性、信憑性が求められます。

作者の体験を元にしたとされる該漫画において、内容は事実に基づいてどこまで忠実に裏付けられているのか、中立性、公正性は保持されているのか、疑問を持っています。漫画という創作物ですから主観は排除し得ないのも当然ではありますが...

後に作者が語ったとされる、
  
――はだしのゲンのアニメ映画を見たことで
    トラウマを植え付け、
    それによって原爆に対して嫌悪感を
持ってくれればいい――

といった考えはとても容認できません。こういった目的で脚色が交えられた該漫画によって、児童に歪曲した認識がもたらされる恐れを危惧しています。

本来、例えば、戦争、平和についての価値観を児童に伝える教材が、ノンフィクションでなければならない必要性はありません。あくまで価値観を伝える手段ですから、的確に内容を理解させ、公正、客観的な判断に導けるならば、フィクションであっても構わないと考えます。

しかしながら、事実、体験に基づいたとしてあたかもノンフィクションであるかのように装い、実は恣意、主観が織り込まれたフィクションは該教材には不適切ではないでしょうか。

時間の経過と共に、全てが客観的事実として一人歩きしてしまう可能性は排除できません。たとえ作者に事実を歪曲する、誤った情報を伝達する意図はなかったとしても、脚色を交えた、主観的表現が避け得ない著作物である以上、その旨は明確に表記されるべきです。

今、私達はネットワーク上に氾濫する情報が玉石混交であり、疑いもなく鵜呑みにするのは危険であることを知っています。第三者による客観的、公正な裏付けが不透明という点では該漫画も同じではないでしょうか。

思想、信条の自由が尊重されるべきは当然です。しかしながら、教材の内容の正否を問う前に、の内容は客観的事実に裏付けられているか、信頼性は確保されているかといった真偽の検証が不可欠です。


更に続けます。 

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