2013年9月19日木曜日

探訪

かき揚げが好きで蕎麦屋、天ぷら屋、和食店を訪れた際、品書きにかき揚げ、かき揚げ丼を見つけると、かなりの頻度で注文しています。

最近、名古屋圏に進出著しい、いわゆるセルフの讃岐うどんチェーンでもついかき揚げを取ってしまいます。勿論、味は価格相応です。

このかき揚げですが店によってかなり食味が異なります。油や揚げ方によるのでしょうが、ガリガリ、パリパリ、サクサクからフニャフニャ、しっとりまで幅広い食感のかき揚げが供されます。

蕎麦、飯といった併せて口にする相方によって、或いは、丼ツユに浸すことを考慮して等、揚げ上がり状態に対する各店の思いが反映されているのでしょう。材料も揚げ油も違うのは勿論ですが...

”午後からガンバロー”といった視点で、勤め人の昼食としてのかき揚げ、若しくはかき揚げについて店名順不同で記してみます。


訪れたのは20年以上前ですが、お茶の水 天ぷら 山の上のかき揚げ丼は確かに旨かった記憶があります。海老、小柱等の入ったかき揚げは良い塩梅に丼ツユが浸み、口当たりよく食が進みました。

ただ、当時でも、おそらく今でも、昼食として気軽に口にできる価格ではなく、この点を含めれば追随を許さない最上とまでは言い難いところです。そもそも名古屋からは遠過ぎます。

清水 光村は想定通りのかき揚げ丼でした。丼ツユがまぶされたかき揚げが掻き込む手を緩めさせませんでした。ただ、繁盛店にある行列、慌ただしさを思うと手放しで、是が非でもと足を運ぶ気になれません。

新守山 よこいのかき揚げ丼は光村に似た普通に旨い丼でした。光村よりややボリュームのあるかき揚げだった記憶があります。

この時、穴子天も併せて頼んだのですが、穴子特有のクセというか香り?匂い?を感じました。時間と共に増す、穴子の魚体表面のヌメリがクセの元かもしれない、と憶測しています。定かではありせん。

このことによるものではありませんが、思うところがありわざわざ訪れようという気になれないでいます。

天白 大番のかき揚げ丼が上記2店のものより気に入ってます。種に烏賊や貝柱がある以外、大きな違いはないように思うのですが、一旦丼ツユに潜らせたかき揚げの食味、歯ごたえの違いでしょうか。或いは、偶々並ばず席に着けたためかもしれません。

高社 舞扇のかき揚げ丼は強めに揚げられたかき揚げが載せられていました。サクサクより固めでパリパリの食感でした。もう少し丼ツユを含ませしっとり感があると嬉しいのですが...


ところで、”カツ丼は丼ツユの浸みた衣で喰わせる”と思い込んでいる私は、かき揚げ丼にも似た食感を期待しています。子供時分、天丼として卵でとじた、いわゆる天とじ丼に馴染みがあり、ツユが衣に浸みたしっとりというかクタッとした天丼にそれほど抵抗がないためかもしれません。

当然ですが、油切れ悪く衣がベチャッとした天丼が好みというわけではありません。あくまで、ツユが衣に浸みて、です。

丼に盛った飯に丼ツユをかけ、そこに天ぷらを載せたかのような、或は、僅かにしか丼ツユが塗されていない天丼に、しばしば遭遇してがっかりします。揚げ立ての天ぷらのカラッとした食感を損ねないための配慮かもしれませんが、これでは天丼ではなく、天ぷら載せ御飯です。

特に、天ツユの延長であるかのような、醤油味が薄い上、コクが足りない一方で、甘味がある丼ツユでは力不足です。丼を置くことなく、一気呵成に掻き込ませる力に欠けます。天ぷら、丼ツユ、ご飯のバランスがチグハグな気がして、一体感が感じられず更に失望感を誘います。

中途半端な丼ツユなら、塩天丼の方が好みです。

さて、瀬戸 千登勢かき揚げ丼には心躍るものをそれほど感じませんでした。普通においしい丼でしたが、上品、あっさりというか、力不足というか、上述のような一体感を欠いていた記憶があります。

現時点では、自宅から比較的近くて訪ねやすいこともあり、瀬戸 たなぼのかき揚げ丼が最も気に入っています。店構えは牛丼チェーンに似て、さっと掻きこんで、”ごちそうさま〜”といった雰囲気です。丼ツユを含んだかき揚げと飯のバランスが好みです。やはり天丼よりかき揚げ丼です。

厳密にはかき揚げ丼ではありませんが、瀬戸 喜楽梅むらでは塩味の天ばら丼?、天ばら重?、天ばらまぶし?が供されました。揚げたて天ぷらの熱々感、サクサクした食感、突き崩されたかき揚げから滲み出た油のコク、飯の甘みが塩味でまとめられた丼です。小海老の天ぷら部分と飯を同時に口内に放り込むと、渾然一体となった旨さが現れました。

尾張旭 車屋は蕎麦屋ですが、かき揚げについてのみ触れます。此処の天ぷらは玉ねぎのかき揚げでした。家庭のかき揚げに近いものがあり、こういったかき揚げも嫌いではありませんが、そのつもりで注文しないと期待を裏切られる方が多いかもしれません。

既に移転していますが、以前、尾張旭に倉四季という和食の店があり、昼の品書きにはかき揚げ定食がありました。小海老の入った美味しいかき揚げが出てきました。

今思えば、揚げ上がりの食感を損ねないため丼という形態を避けていたのかもしれません。揚げ上がりの天プラのサクッとした食感、天だねの適切な加熱と丼ツユの浸み込み具合い、浸み込むことで失われる歯応え、これら全ての均衡を取ることは相反する部分もあり、なかなか難題かと想像します。 

気軽に立ち寄れるだけでなく美味しい蕎麦屋である、藤ヶ丘 蕎野昼時に美味しい蕎麦と共にかき揚げ丼が頼めます。

このかき揚げは、サクサクよりパリパリの印象で、揚げ上がりは色濃く、強めと感じました。かき揚げ丼がタレ、塩と選択できることは嬉しく、昼のセットを取り上げてあれこれ言うのも不相応なことを十分承知の上で、身勝手な注文を記します。

これまでも断片的に言及しましたが、定食の一品、酒肴、蕎麦、うどんの種として、或いは、丼種として、更には、タレで喰うか塩で喰うかによって、各々望ましいかき揚げの状態があるのでは、と考えています。

丼を例に取れば、タレの場合には、丼ツユを適度に衣に含ませ、ツユとバランスさせるべく、色濃く、即ち、香ばしく揚げたかき揚げが好ましいかと思います。で、部分的にしっとりさせて生み出された飯との一体感を口に放り込みたいわけです。

一方、塩の場合、突き崩し飯と共に味わえるような脆いかき揚げが好みです。ツユを含ませませんからあまりパリパリより淡い揚げ色のサクサク程度で、油、塩、飯のあっさりしたバランスを期待します。

かき揚げには食す様式によって最適な揚げ上がり状態があり、同一の状態を全ての様式に当て嵌めても、必ずしも好感が得られるとは限りません。

蕎野の場合、かけそばに載せ、揚げ上がったパリパリ部分と汁を含んだ油麩のような食感を楽しむのに向いているかもしれません。

タレ味のかき揚げ丼とするなら、もう少し丼ツユに浸す、塩味の丼であれば、揚げ上りを弱め、同時に、脆く崩しやすいと有難いかなと...一方に合うように最適化し、どちらかに絞るのも一つの方策かもしれません。勝手な思いです。


引山 江月 も同様に揚げ上がりが強めのかき揚げ丼だった覚えがあります。

上記2店は、かき揚げに対し揚げ蕎麦のパリッとした食感を意識されたのでしょうか。

今、蕎麦屋のかき揚げとしては大曽根 なごや華のものを、最も気に入ってます。かき揚げ丼はまだ口にしていませんが、かき揚げその物は大きさ十分で薄黄色の揚げ上がりでした。

材料各々に火が入り過ぎず、また、特に小海老の食味もよく、蕎麦と共に美味しく頬張りました。

上述のかき揚げと趣は異なりますが、うどん屋の上前津 丸一はサクサク感が心地よい殆ど桜えびのみのかき揚げでした。薄黄色でカラッと揚がっています。品書きをあるか否かも見ていませんが、ご飯と混ぜて天ばらにして頬張りたい衝動にかられます。


材料は勿論、揚げ油の温度、時間で生じる揚げ上がりの油切れ、食感と食味と共に、麺、飯といった相方との和、一体感を今後も楽しみにしています。



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