2013年7月8日月曜日

一蹴

実業界からというよりユニクロからだと思いますが、ファーストリテイリングの柳井氏が大学教育について要望を出されてます。これに応える形で投稿された、

大学教育に対する最近の社会的要請について

というエントリを拝読しました。遠い昔の自分の学生時代を顧みず、当時の記憶、行状を地中深くに埋没させた上で学ぶということについて記します。

馬齢を重ねてきた今、大学で学ぶ目的は未知の問題の解明、或は、その準備ではないだろうかと考えています。その結果として得られた、知的蓄積、養成された問題解決に向けてのアプローチ能力が、それらを活用できる職に就けたり、社会に貢献、公益に資することもあるだろうと捉えています。

自分の過去を雲上の彼方にある棚に上げて申し上げます。本来ならば、大学で学ぶことと職を得るための手段は決して等価ではないし、等価であってはならないと思っています。

こういった思いを背景に、上記エントリの筆者には柳井氏の意見を一蹴して強く反論して頂きたかった。

柳井氏の望む大学教育について考えてみます。

尚、氏は大学教育における教員の質、人事制度、経営といった大学自体の運営についても提言されていますが、これについて私は言及しません。大学の運営基盤について物申すほどの知見は私にはなく、おこがましいことを自覚しています。

更に言えば、こういった基盤はあくまで大学教育の目的を達成するための手段です。従って、目的に適った運営基設計、構築するには、まず大学教育の目的を明確にすることこそが必要ではないでしょうか。

柳井氏は現状の大学教育を受けた学生について

世の中で生きていくのに必要な基礎的な教養や知っておくべきことを知ってないし、知識の絶対量も少ない。そのために適切な判断ができない。もっと知識を詰め込まないと、自分が進んでいる道が世の中の方向性に合っているのか分からない。自分の判断が正しいかどうかを常に意識して行動することを習慣付けるべきだ。実業界は自分で考えて、自分で結論を出して実行できる人材を求めている

と述べられています。この見方は適度に挑発的で耳当たりよく聞こえるかもしれませんが、大学教育の目的自体が外れた上での発言であり頷けません。

利益を追求する実業人という特定の立場から発せられた意見といった印象です。視野の偏りを感じ、客観的で公平無私の、社会全体の総意とは思えません。

安直、抽象的な表現が用いられているため、ともすると聞き流してしまいがちですが、随所に違和感を感じます。

――世の中で生きていくのに...
適切な判断ができない。――?
漠然とした印象を拭えません。”世の中で生きていく”ではどのようにの部分が欠けており説明不足です。御自身の生き方、価値観を当てはめてのことでしょうか。軽々に使って理解が得られる表現ではないと考えます。

従って、続く必要”、基礎的”、教養”から適切な判断”まで具体的中身が思い浮かびません。

もっと例示するなど丁寧に説明しないと、御自分がおっしゃている意図が正しく読者に理解されるか分かりません。

 世の中の方向性に合っている”という語も曖昧です。時流、ブームに乗る、迎合するということでしょうか。独創性、先駆的、新規事業、開拓、起業といった語が想定させる形容とのズレを感じます。

尤も、世の中の方向性に合っているか否かを得られた収益で判断するならば、迎合しようがしまいが、独創であろうと模倣であろうと構わないわけですが...

続いて、”自分で考えて、自分で結論を出して実行できる”とあります。ただ、”実業界では”と始められている辺り、実業界で利益の出せる人材を供給してほしい、と勘ぐれてしまいます。

これでは、実業界で成果が出せるならば、”自分で考えて、自分で結論を出して実行できる”力があるとみなされかねません。実業人の大学教育に対する要望への専横な姿勢を感じます。

実業界に留まらず、社会の中で”自分で考えて、自分で結論を出して実行できる”素養の育成こそが大学教育の本来の役割の一つではないでしょうか。


次に、大学が学生に何を教えるかについて
―社会に望まれるビジネスはどのようなものなのか、社会により貢献できる経営のあり方、人間のあり方を教えてもらいたい。会社員製造機関ではだめで、起業家の育成が大切だ。大学や大学院でそうした講座も出てきたが、小手先だ。経営マインドを持つ人材が大学から輩出されないから、そのための機関も自前で作った。世の中を変えるような仕事ができる人材を育てたい―
と述べられています。ここでもビジネス、経営、起業といった語が連なり、内容が実業界を越えた広い分野について言及されていません。一方で、社会により貢献できる人間のあり方を大学教育に望むのは荷が重すぎるでしょう。

いずれにせよ、経営学部利益至上科への要望事項としてならともかく、大学教育全般への提言としては不十分で偏狭な印象は否めません。

最後に自前の教育機関について触れておいでですが、ファーストリテイリングのホームページにある、FR Management and Innovation Center(FRMIC)”やGlobal One Institute(GOI)と称される機関を指していらっしゃるのでしょうか。目指す人材、教育内容、その成果、いずれも不透明でよくわかりません。大学の代替、或は、それ以上に価値のある教育機関として相応しいか疑問です。

松下政経塾のような私塾のビジネス版なのか、若しくは、単なる自社社員の研修所かもしれません。どちらにしろ、”世の中を変えるような仕事ができる人材”が育成される、されているのでしょうか。当時、鳴り物入りで開塾した松下政経塾ですら、時を経た今、民主党の現状を見れば意義ある教育機関として諸手を挙げた評価は困難です。

これまで多くの企業、特に製造業で企業内高校、短大、大学といった教育機関が設立されてきました。多くの場合、自社社員を、軍になぞらえば下士官、いわゆる中堅幹部に養成し、自社の利益に寄与させる、といった目的が主であると推察しています。

勿論、教育環境が不遇だった自社社員に教育の機会を与えるといった福利厚生、又、社会に人材を供給するといった社会貢献の一面も包含していることは否定しません

そういった役割を上記FRMICGOIが担っているのでしょうか。ウェブサイトを見てみましたが、マクドナルドのハンバーガー大学に類する単なる企業内訓練研修部門のようです。

GOIは旧ユニクロ大学と称された部署で、目的は店長の短期育成とあります。最前線に臨む、兵士、駒、社蓄の訓練機関といったところでしょうか。FRMICの目的はグローバルに活躍する経営人材の育成のようですが、所詮、あくまでファーストリテイリング、或は、ユニクロ内で自社の利益拡大に活用できる人材の育成と同義です。

これが、 
社会に望まれるビジネスはどのようなものなのか、社会により貢献できる経営のあり方、人間のあり方を教えてもらいたい。
に対するファーストリテイリングの答なのでしょうか。例えば、大学の有する、社会に人材を供給するといった公益性、社会貢献の姿勢は微塵も感じられないのですが...

勿論、米スタンフォード大、豊田工業大学ほどの教育機関を期待していたわけではありません。ただ、教育内容の有用性はともかくとして、ダイエーの故中内氏が創立した流通科学大学程度の理念はあるのだろうと買いかぶっていたようです。

単なる社内の研修訓練部門での社員教育を以って、

世の中で生きていく...必要な基礎的な教養...適切な判断...自分が進んでいる道が世の中の方向性に合っているのか...自分で考えて、自分で結論を出して実行できる人材...
社会に望まれるビジネス...社会により貢献できる経営のあり方、人間のあり方...世の中を変えるような仕事ができる人材…

と大上段に宣われるのも強い違和感を感じます。

大学教育について物申す、或いは、自社の社会性について喧伝する前に自社の労働環境、待遇の整備を優先すべきではないでしょうか。 

高邁な理念の下、立派なカリキュラムを有する自社教育部門を設立しても、巷間囁かれているような高い早期離職率のままでは該部門の実効性に疑問を感じます。

いずれにせよ、柳井氏には実業人という立場を踏まえつつも、社会全体を俯瞰した位置から大学教育についての提言されたら如何でしょうか。


ところで、冒頭で引用したブログの筆者は数学者であり大学で教鞭を執っていらっしゃいます。数学に加えて、例えば理論物理、素粒子物理学、博物学、考古学、哲学、歴史学、文化人類学、芸術といった分野柳井氏の大学教育に対する要望の視点から氏にはどう映っているのか知りたい所です。 



(続)