2013年5月13日月曜日

効率

先日、京大で催された作家、村上春樹氏の講演について報道がありました。その際、2011年スペイン講演での内容の一部、過酷事故の要因ともされる原発推進政策の駆動源を”効率優先”にあるとした部分を偶々耳にし、違和感を覚えました。遅ればせながら思うところを記します。

私は、効率化志向がむしろ不十分ではなかったのではと考えます。後講釈ではありますが、事故の発生確率、被害の程度を含めた安全性、核廃棄物の処理等をも繰り入れて効率性を公正に評価したならば、それでも原発は発電システムとしての優位性は揺るぎないものだったのでしょうか。

実は、公正な評価を歪める圧力が本来効率性に含めて考慮すべき部分を排除、少なくとも、過少評価し、単に(発電単価)=(効率)としてしまったと憶測しています。この”公正な評価を歪める圧力”が意図的なものであったか否かについては不明ですが、この力が愚直に効率向上を図る、合理的に選択する姿勢を損なってきたのではないかということです。

勿論、結果論との自覚はあり、その指摘を否定しません。私自身は事故以前は漠然とですが原発はやむを得ないという立場でした。現在は電力需要、効率化に纏わる疑問についての理解が進むまで是非の判断を留保しています。

以上は電力を供給する側の効率についてです。一方、消費側の視点に立っても効率化志向がむしろ不十分では、といった印象を持っています。


とりとめもなく挙げてみます。各々についていずれ詳細に言及できれば、と思っています。


1.電子書籍化


例えば、”色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”も旧来からの書籍の形とせず、電子書籍として出版すれば、製本に必要な素材始め、印刷、製本、流通は不要になります。書店での展示、在庫どころかリアルの店舗すら価値は縮小します。電子書籍として販売という形態にすれば、従来からの広告宣伝や販売促進にかける資源もかなりの効率化ができると考えます。

究極には、無償化してしまえばすれば出版社抜きで読者に直接作品を配本できるのではないでしょうか。



2.出版

毎年、莫大な量の書籍が上梓されます。その中で資源を消費して出版し、本という形態に留めておきたい、価値ある書籍がどれほどあるのでしょう。例えば、”ハダカの美奈子”、出版の必要があるのでしょうか。資源の浪費です。


3.テレビ放送

地上波とBS、チャンネル数を一方だけに削減、民放放送局を半減、地方局を解散しても社会に大きな影響はないと考えます。放送時間の短縮も効率化の一助ではないでしょうか。

例えば、天気予報、気象予報士という資格制度が創設される以前から、各局で定時に天気予報が放送されていましたが、現在ではオンデマンドで地デジのデータ放送やネット経由で天気予報を知ることができます。

各局が重複して天気予報を放送する意義をそれほど感じません。

報道番組についてもかなりの部分で重複している印象を持っています。

ただ、米議会調査局の報告書に関する報道(2013.5.11)のように必ずしも重複せず各局の思惑が見え隠れする場合もあります。該報告書内の従軍慰安婦(comfort girls)に関する記述が報道されたり、されなかったりで、局によって差がありました。

しかしながら、こういった差異は分かりにくく、建前で中立公正を唱うならば、いっそ偏向した報道姿勢を明確にする方がわかりやすく望ましいと考えます。


4.食料品

勿論、鮮魚店や精肉店も行きますが、他にも食料品を求めて成城石井、北野エース、西友、農協等によく赴きます。デパ地下の食品売場を訪れるのは年に一度でしょうか。デパ地下に限らずデパートは行く毎に気分を害することが多いので...

それはさておき、こういったスーパーには常に食料品が溢れています。当たり前のように、通常販売の食品に加え、相当量の賞味期限間近の食品、消費期限が近い食材が日々並べられています。-20%、-30%、半額といったシールが貼付けられたいわゆる見切り品の販売は以前よりかなり目立って顕著になったと感じています。需要と供給、価格の均衡が欠けた、余剰感を強く印象づけられます。

こういった見切り品、特に生鮮食材については購入、消費されなければ廃棄されるのでしょう。追跡、調査したことはありませんが、飲食店からの廃棄分も加えれば、日々膨大な食品廃棄物が生まれているのは明らかです。

”世界で生産される食料の半分が無駄に=英報告書”

身近な理不尽な例:“怒りのおでん”


原発に関わらずですが、これら食品廃棄物の”生産”、”廃棄”のために電力が消費されることに釈然としないものがあります。この現状で原発再稼働を、と宣われても...


全てではないでしょうが、”ゴミを生産して処理するのに電力が足りない”と見受けられる部分もあり、違和感を感じます。

原発再稼働とか食糧自給率を云々する以前に、食に纏わる最適化、効率化が図られるべきであり、その余地は十分にあるものと考えます。



5.パチンコ


今更、言及しませんが必要性を感じません。電力の供給余力が逼迫した場合、原発再稼働より前にパチンコ店の営業停止を優先すべきと考えます。

詳細は存じませんがかなり以前からカジノ合法化の検討が続けられています。同様な理由で賛同するつもりはありませんがパチンコ産業の解体、廃止と引換の公営カジノ運営ならば一考するかもしれません。


石原御大がそこまで踏み込むなら、その部分では見方を少しは変えようかと... 


6.スマートフォン

私の周囲でも多少はスマフォ利用者を見かけるのですが、生産的に活用されているのでしょうか。用途は会話、メールの送受信、ゲーム、地図、飲食店探し、株式取引、写真撮影、携帯音楽プレイヤー、通販、電子書籍端末、掲示板への投稿といったところでしょうか。

便利かもしれませんが生産的なのでしょうか?むしろ生産的活動に費す機会が削がれているように思えてなりません。確かに、便利という点では効率は向上しているのかもしれませんが、費用対効果は如何なものでしょうか。

ネットワークの効用を否定したりスマフォの機能を過小評価する意図は毛頭ありません。ただ、いわゆる業務での利用はさておき、スマフォの端末としての機能、性能、携帯性、ネットワークの利便性を十分活かし、相応して利用されているのだろうか。少なくとも上述の用途からはそれが窺えません。

これら用途に対しスマフォでなければならない理由が見当たらず、強いて言えば全てを1台で賄えるといった程度です。このことと、スマフォなど本来不要であろう利用者層の存在が、リソースの浪費のように見え、かえって非生産的、非効率に見えているのかもしれません。

ハードウェア、プラットホームの持つ機能、性能とソフトウェア、コンテンツの意義、価値、更に利用者の要求、目的のミスマッチが効率向上を妨げているように思えます。





思いつくままに漫然とあげつらってきました。

個々人の立場や価値観により、効率の見方には大きな差異があるであろうことは認識しています。ただ、放置すれば増大していくであろう電力供給への欲求に対し、求められるのは節度というか、足るを知る姿勢ではないでしょうか。

果たして、社会にそんな自律性が備わっているのか半信半疑です。如何に自律機能を付与し、高めていくか、或は、そんなことは可能なのかについて引続き頭を抱えてみようと思っています。