2017年6月23日金曜日

紛乱

やはり経験の差かもしれません。

並の二回生議員なら燃料投下になっていたかと。
自民・河村氏「男ならいっぱいいる」=豊田氏の暴行、直後に発言撤回
”まだ東北で、あっちの方だったから良かった”と発言し、取り消しても炎上、火だるまになって辞任、という大臣もいましたから。

まぁ、かつての民主党のように一気に膨張した政党には勝馬に乗ろうと夾雑物が混入するのはやむを得ないかも。小泉自民、橋下維新、河村減税の時がそうであったように。都議選後の小池都民第一を予見させます。

問題議員はどんどん退場願ってAIに交代頂くのが効果的かも。当然、”政治は機械には無理”との声もあるでしょうが、”機械の方がまだマシ”な方にはさっさと引き下がってもらうと。誰もいなくなってしまうかもしれませんけど。

今回の豊田暴言・暴行騒動は、
豊田真由子議員に元秘書への暴言・暴行疑惑「このハゲーーっ!」 週刊新潮が報じる
都議選告示日(6/23)前日でした。次は投票日(7/2)前日あたりでしょうか。

ところで、”ハゲ”って人の外見を嘲る差別用語じゃないんでしょうか?誰も突っ込みませんが...”人を見かけで判断する差別主義者”のレッテルを用意して今後を見守ります。

2017年6月21日水曜日

修理3

修理2に続けます。

充電不能なKindle Fire HD8を弄っていて、マイクロUSBコネクタ交換の準備を進めているわけですが、調べてみるとかなり細かなハンダ付け作業が必要なようです。

この老眼の眼で作業を無事終えることができるかどうか...

加えて交換用のマイクロUSBコネクタなんですが、これほど種類があるとは思いもよりませんでした。マイクロUSBコネクタのコネクタ部分は規格化されているので、てっきり容易に入手可能な汎用品が使用可能と思っていました。普段目にすることのない表面実装部分によって、おそらく製品毎にと言っていいほど非常に多岐に渡っていました。

国内の電子部品通販サイトでは見つけることはできていません。バッテリと同様に専用設計品なんでしょう。

取り敢えずKindleを分解、マイクロUSBコネクタを取り外してみることにします。下写真は筐体から取り外した基板です。


元に復元できるのでしょうか。マイクロUSBコネクタはグラつきもせずしっかり基板に付いていました。内部の接触不良が原因かもしれません。

さて、マイクロUSBコネクタを交換するには、これまでのコネクタを基板から外さなければならないのですが、これが一筋縄ではいきませんでした。下写真はコネクタ周辺ですがコネクタの際近くまで部品が実装されています。


ハンダごてをあてる余裕がありません。やむを得ず裏面から端子部にフラックスを塗布しながら追いハンダしてみるものの微動だにしませんでした。

調べてみると、どうやらヒートガンの熱でコネクタ全体を加熱して取り外されているようです。で、該器具を手配、合わせて入手したカプトンテープでコネクタまわりを熱から保護して、

熱風をあてた所、ようやく外れました。
熱風と言ってもハンダを溶融させる程の高温です。熱風をあてている間、おそらくフラックスからのものか発煙があり、コネクタ右のマイク端子のプラスティック部も変形しました。

取り外したコネクタは上写真のように焼け焦げ、内部の樹脂部分は溶融していました。温度が高過ぎたか。

カプトンテープで保護していますが、基板や周辺部品を熱損傷させたかも...

とは言え調べる手立てもなく、このまま新品コネクタが届き次第基板に実装してみます。


修理4へ

2017年6月17日土曜日

技量

もっと見直されてもいいんじゃないかと思いますが、まぁ無理なんでしょう。

食べログやSNSでケータリング、或いはテイクアウトされた料理の写真を見かけることがあります。飲食店内で撮影された写真に比べかなり少数です。又、それらの殆どはデパ地下、コンビニ、スーパー、飲食主流の料理店、寿司やピザ、弁当に代表される出前専門のチェーン店からの料理が占めています。

飲食絡みの情報はリアル、バーチャルを問わず氾濫しています。広告宣伝と、主観、客観を含めた消費者からの情報が入り交じる中、一般の消費者に優先的に届く情報は広告であり、その後該広告に対する消費者の反応だったり、有名店やチェーン店利用者の口コミが続きます。

で、この輪の中に含まれていないわけです。家族経営の仕出し屋が。永く続いている仕出し屋に目もくれず、デパ地下だったりスーパーや惣菜チェーン店のテイクアウト品を云々しても信憑性に欠けるなぁと。

永く続いている店にはそれなりの理由があって、侮っちゃいけないというのが率直な思いです。目立たない場所に立地し、目に入る正面ガラスケース内には僅かな商品が並ぶのみ。その他の品揃えも窺い知れず...控えめというか、不明瞭というか....ネット上に写真が出回らないのも頷けます。

店内で飲食できるわけではありませんから雰囲気もサービスも、いわゆる飲食店とは異なります。出前と持ち帰りのみですから正に”味わいファースト”なんじゃないかと。

下手なチェーン店など軽く凌駕していると思っています。精肉店の揚げ物と同じく、刺身、照り焼き、鰻、鯖寿司あたりは質と価格のバランスに秀でているなぁ、と改めて実感しています。

仕出し屋という業態がもう少し注目されてもいいのでは、と思いつつ、写真投稿こそが生きがいの連中に侵食されないことを願って止みません。

対岸

前のエントリ触れた組織犯罪処罰法改正案ですが、”冤罪が多少発生してもやむを得ない”的な意見をしばしば見聞にします。吉本興業 松本人志氏の
「いいんじゃないかな」
「冤罪もしょうがない」
発言などは典型的な例でしょう。これに類した話としては例えば、フィリピン ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争が直ちに想起されます。
ドゥテルテ大統領の容赦ない麻薬撲滅戦争 超法規的殺人の急増でフィリピンの路上に死体が転がる
この超法規的対策は、麻薬犯罪者の人権を蹂躙するものとアムネスティ・インターナショナルや国連から強い批判を招きました。

前者は謀議の段階、即ち実行に至る前の計画者に適用される罪であり、後者は麻薬犯罪の犯人に対して採られる対策です。テロにしろ麻薬犯罪にしろ社会の大多数が撲滅を願っているのは間違いありません。その実現に向け、実行前に犯人の身柄を拘束することでテロによる社会的損失の発生を未然に防ぐ、麻薬犯罪者を厳罰に処し再犯防止、抑止効果を狙う、という選択は理解できないわけではありません。その手法が社会から一定程度支持されるのも頷けます。

しかしながら、実行前の嫌疑、犯罪者に対する厳罰の各々において、冤罪に代表される、自身に何ら責任がないにも拘らず被る理不尽な不利益の発生は免れないと考えます。それらを抑止する仕組みは全く不十分です。

例え、そういった事案の発生が回避し得ないとしても、それを致し方ない、やむを得ないことと容認してしまうことには強く反発します。

該理不尽な不利益は、社会的損失や危機の回避、治安の維持や社会不安の除去等、社会正義の実現や公益への貢献という本来の目的が歪曲形骸化せしめられることによって起こるのでは、と思料しています。原理主義的考え方かもしれません。

で、その根源、そういった本来の目的を歪ませる力は様々ですが、思いつくままに挙げれば、予断、ステレオタイプ、組織防衛、空気、威信、体面、裁量、責任回避保身、減点主義、功名心といった処でしょうか。

これらの力が公権力を濫用せしめ、手段の目的化を通じて過失である誤認のみならず冤罪や隠蔽を生み出しているということです。昨今よく見聞する、痴漢冤罪問題も上記の予断、偏見、空気辺りにその理由を求めることができます。
「何を言っても女の意見だけで痴漢が成立する」 平井駅で痴漢冤罪? Twitterで多数の無罪証言も男性は警察に連行
電車内の痴漢現場と冤罪と私
加えて、行政の公正性に疑義を抱かせる不祥事は枚挙に暇がありませんいちいち例を挙げればキリがありません。ここ数日の事例を検索しても
【福岡・母子3人死亡】 父親の警察官、母を殺害容疑で逮捕 「事実ではありません」と否認(UPDATE)
150万円着服した20代婦警の「副業」はデリヘル嬢だった!
あたりは個人の問題と片付けられるのでしょうが、
 警視庁本部 中村格刑事部長(当時)の判断と法治主義
情報漏えいで愛知県警が調査
等は職権や組織の体質と密接に関わる事案です。真偽はともかく、
前川・前事務次官に激怒して、安倍官邸が使った「秘密警察」
といった話も...

斯様に公権力を有する組織だからといって、謬りを犯さないわけではありませんし、時には恣意的行使が為されるわけです。又、該組織を構成する個人が必ずしも公僕として適切な倫理観を有しているとは言い難いのも明白です。

冤罪他の理不尽な不利益を生み出してしまう素地が変わることなく温存され続けています。この状況下、謀議の段階でテロ等準備罪に問うことを可能たらしめる組織犯罪処罰法改正案は、更なる理不尽な事案の発生へと拍車をかけるのではないか、という懸念が脳裏を過るのも無理からぬことです。

その一方この時、”そんなこと言っていたら何もできない”即ち、”一定程度の冤罪、不利益の発生はやむを得ない、容認すべきである”という声も必ず上がります。そういった意見は、”自分は冤罪被害に遭うはずがない、自分が理不尽な不利益を被ることなど断じてない”等の自信の発露なんでしょうか。過信ではなく...

更にこのことは見方を変えれば、理不尽な不利益を被った人々の切り捨てに他なりません。”そんなこと言っていたら何もできない”の影の部分を鑑みないまま手放しに該考えを支持することは到底できません。

”明日は我が身”などと喚起するつもりはありませんが、少なくともその危険が存在することは認識すべきと考えます。”他人の痛みはわからない”というのは紛れもない事実ですが、対岸の話と片付けるのも能天気が過ぎるんじゃないかと。

誤解を避けるため申し添えておきます。組織犯罪により社会が重大な損失を被る前の、その準備段階を罪に問うことは断じて支持できない、との考えはありません。しかしながら過去を顧みて、社会の過ち、権力の暴走という危険が十分に排除されているとはとても言い難いのも事実です。

テロ等組織犯罪を、謀議の段階で罪に問えるような立法措置をするならば、やはり権力の過剰行使、恣意的行使を牽制する枠組みも同時に構築する必要があります。押す力を強化するならば、合わせて引く力も強め均衡を図るべきです。

不可避かもしれない理不尽な不利益の発生を抑制する不断の姿勢、そういった行政の自律機能は不十分なままです。この部分を放置したままの本法案成立は、全体主義、国家主義の台頭を予見させる危さを禁じ得ません。

もう少し賢くなれないものでしょうか。

ところで蛇足ですが、フィリピンのドゥテルテ大統領、今度は喫煙者の取り締まりを強化するとのこと。
フィリピンのドゥテルテ大統領禁煙規制が超理想的で号泣レベル
いや、どう見たって喫煙者の取り締まりより治安の改善が急務なのでは?、というのが率直な印象です。

2017年6月9日金曜日

新・忖度

昨今、忖度の語から想起される事案といえば勿論、森友学園問題だったり加計学園問題だったりします。

本日、加計学園が今治市に獣医学部を新設する計画について、”官邸の最高レベル”、”総理の意向”といった文言が記された文書を巡って、その存否を追加調査するとの報道がありました。
加計学園文書、「国民の声」で政府方針一転 菅長官、追加調査は「賢明な判断」
結局、 文書が見つかり、忖度したとされるどなたかが人身御供となって落着という流れなんでしょうか。ただ、そうであっても、
——忖度があったかもしれないが、自分は何も指示していない——
という総理答弁になるのは明白です。かつての、”秘書がしたことです”に続く、”忖度があったかもしれない”ブームの到来かもしれません。

では、直接の指示、命令さえなければ問題はないのか、という話になるわけです。

平成16年11月の最高裁判決は、(命令や指示等の教唆とは関係なく)暴力団組長の使用者責任を認めるものでした。その後、平成20年の暴力団対策法改正で被害者側の立証責任の負担が軽減され今に至っています。
暴力団組長に対する使用者責任追及
暴力団トップに暴対法の「使用者責任」 初適用、弁護士「責任の所在が明確になった」

反社会的な組織の長であっても不法行為における使用者責任が追求されます。社会的な組織ならなおさら責任が求められるんじゃないでしょうか。合理性を欠く組織という共通点もありそうですし。

甘利明経済再生担当相、今村復興相等、閣僚の不祥事、失言で常々任命責任を自認されている安部総理です。”責任はあるけどそれが何か?”という姿勢ですが...

この際、総理補佐官やら内閣府審議官内閣官房参与といった官邸の最高レベルに対する使用者責任も問われて然るべきなんじゃないかと思料した次第です。

2017年5月27日土曜日

濫用

先般、衆院法務委員会において賛成多数で可決された組織犯罪処罰法改正案について少し記してみます。本改正案で「共謀罪」の構成要件を改めた「テロ等準備罪」が新設されることになるわけですが、このテロ等準備罪を巡って野党から激しい批判の声が上がっています。

その一方で、言葉通り大事に至る前の準備段階に目を向け”テロを未然に防ぐ”という趣旨に賛同する声も少なくないように見受けられます。

社会に大きな危害を与えるテロ行為、及び類する重大犯罪を、その準備段階から犯罪として社会の損失を防ぐ、という考えについては異論なく支持されているのではないでしょうか。

しかしながら、冤罪増加の恐れは勿論、該準備罪とは全く無関係の市民、団体が”疑いがある”という理由で捜査対象とされてしまう危うさは、野党のみならず有識者からも強い批判を招いています。

この批判の由来について少し考えてみると、それはやはり行政に対する不信感が根本なんだろう、という話に帰結するんじゃないかと。

真偽はさておき、ここ数日衆目を集めている

前文科次官「文書は存在」=「行政ゆがめられた」-加計学園問題で会見
といった報道も行政の公平性、信頼に関わる事案です。こういった歪められた行政の最たる場合が行政機関の一組織で強力な権限を有する検察、警察による冤罪であり、捜査の名の下に行われる人権侵害です。

これまで露見しただけでも一体どれだけの冤罪事件があったか。記憶を手繰るだけでも
松本サリン事件
足利事件
輪島事件
袴田事件
志布志事件
障害者郵便制度悪用事件
が思い起こされますし、痴漢冤罪事件は枚挙にに暇がありません。直近では
電車内の痴漢現場と冤罪と私
痴漢えん罪経験者~弁護士さんコメント全文書き起こし~
といったブログを目にしました。未だ痴漢冤罪をなくす有効な手立てはなく、冤罪撲滅に向かっているとはとても言い難い現状にあるとみています。行政は、今尚、冤罪の発生を放置しているかの如く有り様です。

これら冤罪は疑いもなく警察権や検察権の濫用による人権蹂躙に他ならないと考えています。で、冤罪による人権蹂躙が白日の下に晒された時、行政の最高責任者はこれまでその事実にどう向き合ってきたのでしょうか。寡聞にして存じませんが、黙殺といった印象です。最近良く耳にする、”任命権者は私だ。責任はある。”、が、何もしない、ということと同じなのか。

警察や検察はどうかというと、”捜査、取り調べは適法に行われた”、”上級庁と協議します。”、”判決を精査して今後の対応を検討します。”といった処でしょうか。官の無謬性が見事に現れているわけです。

この辺りの姿勢を鑑みれば警察権や検察権に代表される国権を、自らが濫用する危険を踏まえて自律的な行使に努めようとしているとはとても思えません。特に、”捜査、取り調べは適法に行われた”は、”だから冤罪が発生しても問題ない、やむを得ない”、を言外に示す文言であり、正に現状の肯定を意味します。

国権の濫用を省みることなく、冤罪撲滅に取り組むつもりがなければ、冤罪が繰り返されるのは自明です。

この環境下では、「テロ等準備罪」の新設が、国権の濫用による新たな冤罪の発生、不当な捜査件数増加の懸念材料になるとして反発を生むのも尤もなことかと思った次第です。

さて、衆院法務委員会その他で法案について、検察官から民進党衆院議員に転身した山尾志桜里氏が金田法相他を筆頭に厳しく追求されています。その激しい批判の姿勢を見るとですね、
その追求の根幹には自らの実体験があるのではないか?
つまり、ご自身の検察官時代そういった手練手管を目の当たりににしたか、或いは自身も関与したことがあったのでは、と邪推してしまいます。そうであるならば、花見か下見かとか、山でキノコを採る云々より自身の実例を開陳した方がよほど効果的かと考えます。

守秘義務がありますから決して口外されないでしょうけど...

ところで、上述の”だから冤罪が発生しても問題ない、やむを得ない”についてですが、別のエントリ思う処を少し記します。

2017年5月25日木曜日

象徴

小学生の時始めて象徴天皇の語を耳にしたものの、以来ずっと意味する具体像が思い浮かばないまま今日に至っています。

なんだ、未だ明確に定義できてないということですか。参加者各人勝手に捉えているだけでした。驚いています。これじゃ、小学生が理解できないのも当たり前です。
私たちと「象徴天皇」 ~政府の有識者会議「最終報告」を受けて~
現行憲法で
 第一条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
と定められている以上、象徴の意味は既に明確に定義済みと受け止めていました。法文が既にあって具体的内容が定まっていないというのも違和感を禁じ得ません。”こういうもの”という具体的内容が先ずあって、それを示す語として”象徴”を用いて法文を組み立てるのが通常ではないのでしょうか。

法文を作成して後から語を定義するって...後から都合よく意味する処、解釈を捻じ曲げられることに他なりません。それって肯定できることなのか?

少なくとも起草者には象徴の明確な定義があったはず、と考えます。起草者は一体どういった定義で象徴の語を用いたのか、当時の、そもそもの定義を踏まえない象徴について議論など地に足がついていない議論にも見え、そこにどれほどの意義があるのか疑問です。

結局何が明かになったのでしょうか。